18年平昌五輪フィギュアスケート男子シングルで66年ぶりの連覇を狙う羽生結弦(22=ANA)のシーズンが始まる。伝説のスケーター、ディック・バトン氏(88=米国)は羽生と同じく10代で五輪王者となり、続く2度目の五輪も制した。羽生の金メダルへの道しるべとなるバトン氏が、メッセージを送った。今日5日からスタートの長期連載「フィギュアに恋して」では、羽生ら日本人選手の動向のほか、競技の話題をさまざまな視点で取り上げる。【取材、構成=高場泉穂】


羽生にメッセージを書いたバトン氏(撮影・高場泉穂)。右はソチ五輪で金メダルを手に笑顔の羽生
羽生にメッセージを書いたバトン氏(撮影・高場泉穂)。右はソチ五輪で金メダルを手に笑顔の羽生

 あこがれのスケーターの存在が連覇を確信させた。今年4月にヘルシンキで行われた世界選手権。3年ぶりに王者に返り咲いた羽生は、一夜明け会見でバトン氏の名前を口にした。「ディック・バトンさんも世界王者として(2度目の五輪に)臨んだ。そういった意味では、すごくいい験かつぎです」。

 フィギュアスケート界でこの2人しかなし得ていないことがある。10代での五輪優勝とループジャンプの開拓。バトン氏は世界初の3回転ループを、羽生は16年に4回転ループを初めて試合で成功させた。「いい流れが自分に来ていると、思い込んでいます」。前年に世界王者となり、2度目の金メダルへ―。大先輩であるバトン氏と自分を重ねた。

 ニューヨークの高級住宅街アッパー・イーストサイドにある自宅で取材に応じたバトン氏は、羽生に向けて〝オリンピックをエンジョイするんだ。リラックスして、楽しめ〟と紙にメッセージを書いた。シンプルな言葉の裏には2度目の五輪での苦い経験がある。

 「私は失敗したんだ。2度目の五輪では自分の持っている力を出せなかった…」

 バトン氏は48年サンモリッツ五輪で、男子シングル史上最年少の18歳202日で金メダルを獲得。その後も、若い王者の成長は止まらなかった。新たなジャンプやスピンの習得に励み、世界選手権の連覇を4に伸ばした。絶対王者として臨んだ52年オスロ五輪。「重圧はどうしたってあるもの。自分でどうにかしようとはしなかった」。重圧に打ち勝つ自信はあったが現地入り後、いつもと違うことをした。

 「6日滑って1日休む、といういつものルーティンを忘れ、練習し過ぎてしまったんだ。本番5日前に完璧な練習をしてしまい、そこから毎日練習するたびに少しずつ調子が下がっていった。それで、本番で失敗してしまった」

 規定(※注)で2位に差をつけ迎えたフリーは途中までほぼ完璧だった。世界初の3回転ジャンプとなる3回転ループも成功させたが、後半のダブルアクセル(2回転半)は両足で着氷。連覇こそ達成したが、完璧な演技を求めるバトン氏は満足できなかった。半世紀を経た今も「悪い思い出」として胸に残る。五輪のメダルは飾らず、しまったままだ。だからこそ、羽生には「五輪で自分のベストの演技をして、良い思い出をつくってほしい」と願う。


バトン氏からのメッセージ
バトン氏からのメッセージ"Enjoy the Olympic Experience Relax + Have Fun!"

 羽生も苦い金メダルの味を知っている。14年ソチ五輪。首位で迎えたフリーで、2度大きな失敗をした。冒頭の4回転サルコーで転倒。その後の4回転トーループは成功したが、直後の3回転フリップでバランスを崩し、氷に両手をついた。得点は自己ベストより15点も低かった。悔しさの残る優勝だった。

 今年8月、羽生はソチ五輪前後の自分のインタビュー動画や記事を見返していると明かした。「フリーで、2回失敗しちゃったこと。それがあったからこそ、次のシーズンで(4回転)サルコーをきっちり跳べるようになったと思うし、他のところでもっともっと質のいいジャンプを跳べるようになった。金メダルの結果があり、その上で成長できる伸びしろをすごく多く感じてこられた、ぜいたくな選手だと思っています」。オスロ五輪のバトン氏と同様に最初の金メダル獲得後、成長を遂げ、2度目の五輪へと向かう。

 バトン氏は「羽生は本当に素晴らしい才能を持っている」とたたえ、こう繰り返した。「たった1つ。エンジョイさえすれば勝てる」。笑顔の金メダリストを待ち望んでいる。(つづく)


 【注】規定は決められた図形に沿って滑り、その滑走姿勢と、描いた図形の正確さを競う。男女シングルは73年にショートプログラムが導入されるまで、規定とフリーの2種目合計で争われていた。68年まで競技全体の6割がコンパルソリーの得点だったが、90年に廃止された。


 ◆羽生の現状 羽生は14年ソチ五輪後の3年でさらに強さを身につけた。15年にNHK杯、グランプリ(GP)ファイナルと2戦続けてSP、フリー、合計の世界最高得点をマーク。今年の世界選手権でフリーの世界最高点を更新した。米国のスポーツ情報提供会社「グレースノート」は5月、平昌五輪のメダル予想で羽生を金メダルとした。スケート大国米国からも連覇の可能性が高いとみられている。

 ただ、16年まで世界選手権連覇のフェルナンデス(スペイン)、4大陸選手権で羽生を抑え優勝したチェン(米国)、世界選手権2位の宇野昌磨(トヨタ自動車)ら強力なライバルがおり、楽観はできない。今季初戦はオータムクラシック(20日開幕、カナダ・モントリオール)。GPロシア杯、NHK杯を経て、12月末の全日本選手権で平昌五輪の代表が決まる。


◆冬季五輪フィギュア男子シングル金メダリスト◆

08年ロンドン サルコー(スウェーデン)

20年アントワープ グラフストロム(スウェーデン)

24年シャモニー グラフストロム(スウェーデン)

28年サンモリッツ グラフストロム(スウェーデン)

32年レークプラシッド シェファー(オーストリア)

36年ガルミッシュパルテンキルヘン シェファー(オーストリア)

48年サンモリッツ バトン(米国)

52年オスロ バトン(米国)

56年コルティナダンペッツォ H・ジェンキンス(米国)

60年スコーバレー D・ジェンキンス(米国)

64年インスブルック シュネルドルファー(ドイツ)

68年グルノーブル シュワルツ(オーストリア)

72年札幌 ネペラ(チェコスロバキア)

76年インスブルック カリー(英国)

80年レークプラシッド カズンズ(英国)

84年サラエボ ハミルトン(米国)

88年カルガリー ボイタノ(米国)

92年アルベールビル ペトレンコ(独立国家共同体)

94年リレハンメル ウルマノフ(ロシア)

98年長野 クリク(ロシア)

02年ソルトレークシティー ヤグディン(ロシア)

06年トリノ プルシェンコ(ロシア)

10年バンクーバー ライサチェク(米国)

14年ソチ 羽生結弦(日本)

※国名は当時