羽生結弦(22=ANA)と男子シングルで五輪連覇を達成した伝説のスケーター、ディック・バトン氏(88)は10代で五輪金メダルを獲得した共通項がある。同時にループジャンプの開拓者という点も重なる。


自宅のリビングで笑顔を見せるバトン氏(撮影・高場泉穂)
自宅のリビングで笑顔を見せるバトン氏(撮影・高場泉穂)

 バトン氏は48年サンモリッツ五輪でダブルアクセル(2回転半)を、52年オスロ五輪で世界初の3回転ジャンプとなるループに成功した。たえずジャンプの新技やコンビネーションに挑んだのは「目の前に、やるべきこととしてあったから」。挑戦を重ね、ジャンプの礎を作った。

 羽生も男子フィギュア界の新たな「4回転時代」をけん引する。きっかけは15~16年シーズン。ショートプログラム(SP)で4回転を2本、フリーで3本、計5本を入れた各プログラムで世界最高点をマークした。翌16年秋には、世界で初めて4回転ループに成功。17年4月の世界選手権ではフリーで4回転4本をそろえ、世界最高点を更新した。自身も技術の開拓者だったバトン氏は、羽生を「細身で、お尻が小さいからジャンプに有利」と分析。4回転ジャンプも「かっこいい」と評する。

 羽生が4回転ジャンプの種類、本数を増やすたびに、他の選手も負けじと対抗。こうして、フィギュアスケート史上、最も高難度のジャンプで争われる時代となった。ただ、著しい進化はバトン氏の想像を超えていた。今の男子の4回転時代について「過剰。やりすぎ」と警鐘を鳴らす。「フィギュアスケートは、あくまで演技(パフォーマンス)なんだ」。引退後も半世紀、解説者として競技を見つめてきた目からは、やる方も見る方も「息をする間がない」ぐらい緊張を強いられると感じる。


16年9月、オータムクラシック男子SPの演技で誘うようなしぐさをする羽生
16年9月、オータムクラシック男子SPの演技で誘うようなしぐさをする羽生

 03年以降の新採点方式は得点要素がより細分化され、曖昧だった部分がほぼ数値化された。「昔のフィギュアスケートは技術と芸術表現、2つの面があったが、今はそれに得点という新たな面が加わった。スケーターは得点を得るために動くことになる」。羽生らトップ選手は「みなクリエーティブ能力を持っているのに、それを出すのが難しい」と同情した。

 それでも最終的に勝敗を分けるのは、演技そのものだという。バトン氏は「演技に、いのちを吹き込め」と語る。いくら点数で測っても、勝つのは「人をひきつける演技」だと力説した。(つづく)【高場泉穂】


 ◆ディック・バトン 1929年7月18日、米ニュージャージー州生まれ。48年サンモリッツ五輪フィギュアスケート男子シングルを18歳202日の史上最年少で制し、52年オスロ五輪で連覇を達成。世界選手権は48年から5連覇。世界で初めて48年に2回転半、52年に3回転ループに成功した。23歳で現役引退後は解説者として活躍。