今年5月20日、第102回全国高等学校野球選手権大会の中止が発表された。戦後初の甲子園中止だ。

高校の3年間は人生の中でも短くはかない時間。この時間に全てをかけてきた高校球児たちにとって、どれほどの衝撃だっただろうか。

私も現役時代、甲子園に出場する選手たちに刺激をもらっていた。同年代の高校生だったころはもちろんだが、彼らはなぜか大人びて見えたこともあり、自分が大学生になっても、社会人になっても彼らから刺激をもらった。優勝校のキャプテンのインタビューに感銘を受けたこともある。

1年が終われば、また新しいチームで戦う。毎年、3年生は卒業していく。このはかなさが甲子園という場所、大会をさらに輝かせる。


選手から贈られた色紙
選手から贈られた色紙

そんな甲子園で取り上げたい高校がある。花巻東だ。

岩手県屈指の強豪校。100回大会、101回大会にも連続出場した。去年(101回)は、鳴門(徳島)に4-10で初戦敗退した。

岩手県で戦後、3回連続で夏の甲子園に出場した高校はない。当然、今年の花巻東は、岩手大会3連覇に向けて意気込んでいた。しかし今回は中止になった。

6月10日には、選抜大会出場が決まっていた高校が甲子園球場での交流試合(日本高野連主催)に招待され、各校が1試合ずつ行うことが発表された。また代替大会の計画も都道府県高野連が続々発表。岩手県も早々に代替大会の開催を発表し、すでに7月4日から地区大会が始まっている。つまり現在、花巻東は戦いの真っ最中だ。5日の初戦で遠野緑峰を破り、地区代表となった。

私が同校に注目した理由は、何度も水泳指導に訪問したことがあるからというだけではない。同い年で元アスリートの冨田(旧姓城内)史子さんが2018年7月から野球部のトレーニングコーチを務めているからだ。

彼女はウエートリフティングの選手だった。現在も、75キロ超級クリーン&ジャーク日本記録保持者。全日本選手権も連覇しているトップ選手だ。


冨田トレーニングコーチ(中央)と花巻東の選手たち
冨田トレーニングコーチ(中央)と花巻東の選手たち

現役時代から「このウエートの動作を他の競技のトレーニングに生かせないか」と考えていたという。現役引退後は、日本オリンピック委員会で男子ウエートリフティング日本代表の選手も指導した。

最初、野球という未知の分野での指導に不安もあったようだ。しかし、佐々木洋監督や流石裕之部長から「飛距離が伸びた」「スイングスピードが速くなった」などの言葉をもらって自信がついた。さらに、選手たちが「信じてトレーニングをやってくれる」姿勢に感動し、指導にも一層力を入れることができた。

花巻東は元々「守っていく粘り強い野球」が特徴だったが、さらに技術が上がってきた。2018年シーズンを終えた選手たちから、うれしいサプライズもあったという。

引退した3選手がお礼の色紙を届けにきてくれたのだ。主将だった中村勇真外野手、向久保怜央外野手、武田羅生捕手だ。現在、中村選手と向久保選手は同志社大学に進学し、日本一を目指している。「(自分たちは)冨田さんの1期生だから」と言ってプレゼントしてくれたそうだ。

「野球はわからないから不安だった。女性のトレーニングコーチについてきてくれるか心配だった」という冨田さんの当初の思いを、選手ははるかに飛び越えてきた。「トレーニングは競うものではなく、自分と向き合うもの」という彼女の教えを信じてトレーニングしてくれたのだろう。


試合後、間隔をあけて整列する選手たち
試合後、間隔をあけて整列する選手たち

彼女は個人競技の選手だったこともあり、野球の世界に入って感動の連続だったようだ。練習以外でも、野球部部員たちは一緒の生活。「まさに苦楽を共にし、みんなで1つのことを成し遂げる」生き方に心を動かされた。

今回の甲子園中止で、冨田コーチは「試合はなくなったけど、自分たちが頑張ってきたことはなくならない。この頑張ってきたことを他の場面でも生かすことができたら」と考えたという。

花巻東は14日の試合でも大船渡東を破り、勝ち進んだ。「今年も優勝を目指す」との佐々木監督の言葉を目標に掲げ、選手たちを支えるスタッフも、高校球児たちとともに今を戦っている。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)