2003年(平15)12月31日午後11時。日本のテレビ史に新たな1ページが刻まれた。TBSの「K-1 Dynamite!!」で中継したボブ・サップ-曙の試合が「NHK紅白歌合戦」の視聴率を超えたのだ。頂点は曙がサップにKOされた11時2分。瞬間最高視聴率(ビデオリサーチ調べ)は43%に達し、NHKの35・5%を7・5%も上回った。

わずか4分間とはいえ裏番組が紅白を上回るのは初めて。平均視聴率19・5%も裏番組として史上最高だった。大会を運営したFEGのイベントプロデューサーだった谷川貞治は「絶頂を迎えたテレビ格闘技時代の象徴でした。格闘技というコンテンツは紅白を超えるほど強い。それを日本中にアピールできたことは大きな功績」と回想する。

K-1は93年(平5)に誕生した。フジテレビのスポーツイベントの一環として空手の正道会館の石井和義館長が、空手やキックボクシングなどの立ち技の格闘技世界一を決める大会を代々木第1体育館で開催した。「“賞金10万ドル世界最強決定戦”と銘打ち、まだK-1の文字は小さかった。空手やキックなど頭文字にKのつく格闘技の1番を決めるという意味で、ブームだったF1をまねた」と、マッチメークに携わった谷川は明かす。

決勝まで7試合のうち6試合がKOでの決着だった。ヘビー級のど迫力のパンチとキックに超満員の会場が熱狂した。実力者モーリス・スミスや日本のエース佐竹雅昭が、無名のアーネスト・ホーストやブランコ・シカティックに衝撃的なKO負けを喫したことで、逆にK-1のレベルの高さが際立ち、人気が急上昇した。

時代も味方した。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の衰えとともにプロレス人気が下降し、新たな格闘技としてブームを起こしたUWFも90年を最後に分裂していた。そんな時代にK-1が注目を浴びた。昭和の時代に光の当たる舞台がなかった空手家やキックボクサーたちが、続々とK-1のリングを目指した。

極真空手で実績を残したアンディ・フグら世界的な空手家も参戦し、96年にはフジテレビがゴールデンタイムで放送開始。K-1の名前は全国区となって、平均視聴率も20%を超えた。97年12月の「K-1 GP決勝戦」は5万4500人の大観衆が東京ドームを埋めた。そして、02年に参戦した野獣ボブ・サップが国民的な人気者になった。

03年にK-1はTBSの「Dynamite!!」で、単独では初の大みそか興行に乗り出す。目標は打倒紅白。目をつけたのが曙だった。谷川が振り返る。「大みそかはみんなでお茶の間でテレビを見る。そのお茶の間で一番人気があるスポーツ選手はお相撲さん。だから元横綱の曙を口説いた」。サップと曙の対決は、谷川の予想通りお茶の間のテレビを紅白から奪った。

00年以降、フジテレビで「K-1 GP」、TBSで70キロ級の「K-1 MAX」、日本テレビで日本選手中心の「K-1 JAPAN」と3局で大会が放送されるようになった。一方、人気急騰とともに93年の第1回大会で1人100万円だったファイトマネーは年々急騰し、億単位で稼ぐ選手も現れた。FEGの経営は次第に悪化。深刻な財政難に陥り、10年の「K-1 GP」が最後になった。

「経済的な破綻は自分たちの責任。いろんな問題があった」と谷川。ただ「経営状態が悪くなくても落ちていったと思う」とも話し、こう続けた「平成はテレビの時代だった。フグやサップが人気が出たのは強いからではなくて、テレビに乗ったから。でもこの10年でメディアを取り巻く状況はガラリと変わった。今は昔のようにテレビで視聴率を取る自信がない」。

現在、谷川は武道を軸に据えた新格闘技「巌流島」のイベントプロデューサーを務めているが、まだ目指す道が見つからないという。「20年前は地上波のゴールデンタイムという分かりやすい目標があった。コンテンツをつくる自信は今もある。でも、目指すメディアが見つからない。令和の時代はそれを見つけた人が勝つんだと思う」。谷川の悩みは、ネットの登場で斜陽となった既存メディアが抱えている悩みでもある。(敬称略)

【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)

※2019年4月21日の日刊スポーツに掲載した記事です。