東京五輪の開幕2日前に始まったソフトボールとサッカーの日本戦をテレビで観戦しながら、自分の心境の変化にハッとした。あれほど日本勢の動静に一喜一憂していたのに、なぜか熱くならないのだ。もちろん日本を応援する気持ちに変わりはないが、その熱量が今までよりも少ないのだ。高揚感が薄いというより、心に余裕を持って観戦している感じがする。

熱気のない無観客のスタンドも一因かもしれないし、国民の半数以上が開催を歓迎していない現状も、心理的に影響しているとは思う。政権維持装置として五輪を政治利用した現政権への不信感と、「始まれば国民は感動して風が変わる」という上から目線の押しつけへの反発も少なからずある。組織委員会の見識を疑う不祥事の数々に興ざめもした。

でもそれらは心境の変化の要因ではない。もっとも変わったのは海外選手に対する自分の視線。日本選手はもともと地の利がある上、最終調整の環境もおおむね整っている。一方、海外選手の大半はコロナ禍で本番会場の視察も試走もできず、事前キャンプも多くの国が断念せざるを得なかった。これは想像以上に大きなハンディになる。

88年ソウル五輪前の取材を思い出した。開幕の約3週間前から、30カ国を超える国と地域の選手が直前合宿のため来日した。開催国の隣国で時差調整と気候に体を慣らすのが目的だった。世界トップレベルとなれば100分の1秒、1ミリの争いになる。ノルウェーの陸上コーチが「最後の調整でメダルが決まる」と語っていた。それが今回は多くの選手が厳しい制約の中、“ぶっつけ本番”で臨まざるを得ない。

だから今大会は開催国よりもずっと厳しい条件下で五輪に挑む1万人超の海外の選手たちも、583人の日本選手と同じように応援したいと思っている。日本を打ち負かしてメダルをつかんだライバルにも心から拍手を送りたい。コロナ禍という困難の中でも夢をあきらめず、心身を鍛え続けてきたのはみんな同じ。人類共通の災厄を一緒に乗り越えていく同志でもあるのだ。以前のように日本のメダル数に執着はない。それを今は新鮮に感じている。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)