私はもともと生理不順で、生理が月に2、3回くることもあった。幸い生理痛はほとんどなく、ただ人よりも生理が多いだけだと思っていた。

いつも生理が終わった後は気持ちがスッキリしているせいか、試合ではいいパフォーマンスができ結果も良かった。


2008年の北京オリンピックでも幸運なことに生理後に試合が来るという日程で、順調に決勝まで進んだ。

そんな中で迎えた決勝当日の朝。

なんと来るはずのない生理が今までに経験したことのない痛みとともにやってきた。立てないほどの痛みの中、はいつくばってドクターの元へ行くと、「きっと緊張やストレスからホルモンバランスが崩れてしまったのだろう」と言われ、痛み止めとおなかを温めるマットを借りて、決勝へ出発するまでの間、部屋で寝ることにした。

決勝では痛み止めの効果で痛みこそ無かったものの、違和感と「また痛みがぶり返したらどうしよう」という不安を抱えたまま試合に臨むことになってしまった。

初めてのオリンピックで決勝に進出できたことは大きな収穫ではあったが、大舞台では緊張だけでなく思わぬ事態と戦わなければならないという、自分がコントロールできない部分の難しさを思いしらされた。


ロンドン五輪準決勝での筆者
ロンドン五輪準決勝での筆者

そして迎えた2012年ロンドンオリンピック。同じ過ちは繰り返すまいと、北京オリンピックでの経験を生かし、婦人科でピルを処方してもらい思い切って生理を調整してみることにした。

しかし、それが違う形となって私に試練を与えることとなった。

処方されたのは超低用量ピル。それでも私の体は過剰に反応し、むくみや筋肉の弱体化を招いてしまったのだ。

私より先にトレーナーがその変化に気づき、すぐに飲むのをやめたが、運動の負荷に筋肉がついていけなくなっていた。その結果、腹筋の肉離れや首の捻挫を招いてしまい、思うように練習が出来なくなってしまった。

その代償は試合のギリギリまで引きずり、オリンピックに向けて挑戦していた高難度種目の練習やケガの治療に加え、増えてしまった体重を戻すことに毎日必死だった。

なかなか元の感覚には戻らなかったが、人生をかけてつかみ取ったオリンピックを悔いなく迎えるために最善を尽くし、何とか戦える状態にまで持っていった。

しかし、さらに試練は続いた。

準決勝が始まる1時間前にギックリ腰になってしまったのだ。準決勝敗退。北京オリンピックのリベンジはかなわぬ夢となって終わってしまった。

この結果をどう受け止めればいいのかすぐには答えが出ず、その意味を自問自答する日々が続いた。

海外の選手は若い頃から当たり前のようにピルを使って生理を調整していた。

しかし私は、人一倍薬を飲むことへの抵抗心があり、自然の中での自分と向き合うことを優先してきた。ドーピングの心配もあり、風邪でもなるべく薬に頼らないようにしていたが、自分が服用するものへのきちんとした知識や、自分に合うものを選べばなにも問題なかったのかもしれない。

後になって、超低用量ピルと言われるものにはいくつも種類があり、人によって合うものと合わないものが存在することを知った。

時間に余裕をもって、信頼できるドクターとともに、自分の体に合ったものを服用すれば、ピルは女性の強い味方になってくれるはずだ。

私の経験が、これから活躍する女子選手たちの役に立ってくれれば幸いである。

(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)