92年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダルで「平成の三四郎」の異名で人気を博した古賀稔彦さんが24日午前9時9分、川崎市の自宅でがんのため死去した。53歳だった。同五輪では左膝に重傷を負いながら芸術的な一本背負いを武器に頂点に立ち、その勇姿は今も名場面として語り継がれている。現役引退後は、五輪金メダリストを育てるなど指導者としても才能を発揮した。葬儀・告別式は29日に営まれるが、時間や場所は非公表。
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柔道界のスターが53歳で旅立った。最期は03年に創設した町道場「古賀塾」を併設する川崎市の自宅だった。24日朝、同じ中量級の73キロ級で活躍する長男の颯人(23)らにみとられ、力尽きた。遺体は道場に安置され、この日は柔道関係者らが訪れ故人をしのんだ。都内の柔道私塾「講道学舎」で切磋琢磨(せっさたくま)した、バルセロナ五輪男子78キロ級金メダルの吉田秀彦氏(51)は、23日夜から古賀さんの手を握って声をかけ続けた。
複数の関係者によると、古賀さんは昨年から体調を崩し、がんであることが判明。同3月には腎臓を片方摘出する手術を受け、徐々に痩せていった。同11月の講道館杯全日本体重別選手権では会場に訪れた。関係者と談笑した際には「トレーニングで減量した」とあえてうそをついて「元気、元気」と笑顔で振る舞っていた。母親にすら病気のことを最後まで隠し、「強い古賀稔彦」を守り続けた。3月上旬頃から腹水がたまるなどして体調が悪化。モルヒネ投与の影響で声も枯れていたという。
バルセロナ五輪の現地練習で古賀さんは、吉田氏との乱取りで左膝を負傷した。しかし、執念で全5試合を制し、名シーンは伝説となっている。吉田氏は自身の金メダルの試合以上に「五輪での一番の思い出」と語り、23日夜には講道学舎関係者らに「先輩がもたないかもしれない」と連絡した。バルセロナ五輪の時に世話になったという和尚を連れて行き、一緒に手を握り続けた。2歳下の後輩は「奇跡を信じたかったが、かなわなかった。あの時の精神力は今の私の支え。2人で勝ち取ったバルセロナ五輪の金メダルは一生の宝」と感慨を込めた。
古賀さんは96年アトランタ五輪では78キロ級に階級を上げて銀メダルを獲得。現役引退後は女子代表のコーチを務め、04年アテネ五輪では女子63キロ級の谷本歩実(39)を金メダルに導いた。07年には環太平洋大の女子総監督に就任し、女子で全国屈指の強豪に育てた。大学では体育学部体育学科の教授も務め、前期の7月までリモートでの講義を行っていたが、後期はしていなかったという。


