世界ランキング215位の望月慎太郎(20=IMGアカデミー)は、日本勢では18年錦織圭以来となる史上2人目の決勝進出を逃した。準決勝で同50位のアスラン・カラツェフと対戦し、3-6、4-6で敗れた。1回戦の同31位エチェベリ戦でのツアー初勝利から2回戦の前年覇者で同10位フリッツ戦、準々決勝の同41位ポピリンに続く、快進撃とはならなかった。

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強烈なサーブに苦しんだ。第1セット(S)はお互いにサービスキープを続けたが、第6ゲーム(G)途中に降雨のため約30分の中断。ここでブレークを許すと、第9ゲームにも連続でサービスエースを決められ、3-6で先取を許した。

第2Sも第5Gにブレークを許すと、そのまま4-6で敗れた。

涙のツアー初勝利から続く快進撃はここで途切れたが、確かな足跡を残した。

先月の国別対抗戦デビスカップが飛躍の契機となった。自身の敗戦もあり、日本は2勝3敗でイスラエルに敗退。来年2月に行われる「ワールドグループ1部」残留がかかるプレーオフに回ることになった。「本当にアウェーで経験したことの無かった感覚。プレッシャーもあって足も全然動かなかった」と、完全アウェーの雰囲気にのみこまれた。それでも「テニスをやってきた中で一番と言えるほど悔しい気持ちだった」と反省。伊藤竜馬コーチの声かけなどもあり「自分を強くしてくれる経験だった」とポジティブに捉えた。

変化があったのは、ミスをした後の気持ちの持ち方。「うまくいかないときも受け入れなかったりイライラしたり、昔から自分を許せない癖があった。でも、ミスは誰にでも出る。切り替えを意識した」と前向きに。今大会の準々決勝のポピリン戦でも、第1セットは緊張からか自分のプレーが出来ず、ブレークを許す厳しい立ち上がりだったが「その中でもいいプレーをしていたのでよくなったことを優先して考えてあげたいなと」。第2Sでブレークを奪い返し、主導権を渡さなかった。

一躍、名の知れる存在になったが、地に足は付けている。19年のウィンブルドンで日本男子初の4大大会ジュニアのシングルスを制覇も、プロ転向後は飛躍を期待されながら伸び悩みも味わった苦労人。ツアー初勝利から3連勝も「勝てる日があれば負ける日もある。1年を通してやりきれる選手がトップ。自分は自分の道でやり続けたい」と、迷いなく言い切った。

超新星の物語はまだ始まったばかりだ。

◆望月慎太郎(もちづき・しんたろう) 2003年(平15)6月2日、神奈川県川崎市生まれ。3歳で競技を開始し、15年に盛田正明テニスファンドの奨学生として錦織圭らが拠点とする米IMGアカデミーに渡る。19年のウィンブルドンで日本男子初の4大大会ジュニアのシングルスを制覇。21年にプロ転向。23年にウィンブルドンで4大大会本戦初出場を果たし、同10月のジャパンオープンでプロツアー初勝利。176センチ、68キロ。

◆放送 テニス男子ツアーの木下グループ・ジャパン・オープンはWOWOWで連日独占生放送、WOWOWオンデマンドでは全コート配信予定。