女子SPの演技で笑顔を見せる本田真凜(3月18日)
女子SPの演技で笑顔を見せる本田真凜(3月18日)

■1年分の集中力を全部かける

 想像をはるかに超えた答えが返ってくると、取材はとても楽しくなる。このほど、フィギュアスケート世界ジュニア選手権で自己新の合計200点超えをマークし2位に入った本田真凜(15=大阪・関大中)がその1人だ。

 17年3月19日。フリーの演技から一夜明け、会場の台湾・台北アリーナの一室で本田を囲んでの取材機会があった。本田は明るい声で大会をこう振り返った。

 「1年分の集中力を全部かける。だからビックリするぐらい、終わった後に疲れるんです。1年に1回ぐらいしか、それを出せる演技がない。その分、たまっているものを、全部出せるのかなと思います」

 ジュニアにおける世界最大の大会で、ショートプログラム(SP)、フリー共にノーミスだった。本田は「(コーチの浜田)先生と数えたけれど、フリーは今シーズン、試合と練習を合わせても3回しかノーミスがなかった」と語る。

 つまり1年を通してフリーのノーミスは3回だけ。そのうちの1回を披露したのだ。それを踏まえ、シニアに上がる来季に向けて聞いてみた。

「来シーズンは(18年平昌五輪出場への大一番となる)全日本選手権にそれ(極限の集中)を持っていきますか?」。

 その答えが衝撃だった。本田は首を振って「1年間お預け!」といたずらっぽく笑った。周りを囲んでいた報道陣はすかさず「平昌で!?」と聞く。そうすると愛嬌(あいきょう)たっぷりにうなずいた。

 これだけを書けば「てんぐだ」となるかもしれない。だが、本田を取材してまだ1年に満たない私でも、それをきっぱりと否定できる。なぜなら今季1年間、ずっと「世界の大舞台にピークを合わせる」スタイルだったからだ。

 昨季(15~16年)の最後は、16年3月の世界ジュニア選手権での初出場初優勝だった。これで本田の実力は多くの人に知られ、注目を集めるようになった。後に、こう思い返している。

 「もともと『来年の世界ジュニアで優勝したいな』と思って滑っていた。(優勝は)自分でもビックリした」

 これらを踏まえて、今季(16~17年)を振り返る。

 ◆16年10月8~9日、近畿選手権 同じ練習拠点で1歳年下の紀平梨花に優勝を譲り2位。「(体調不良明けでのSPノーミスに)ノーミスしようと強く思っていなかったので、あんまりうれしくない」

 ◆16年10月28~29日、西日本選手権 坂本花織に屈して2位。「ここまで順位も内容も良くなかったけれど『(ジュニアGP)ファイナル、世界ジュニアで取り返せるように』とスイッチが入った。ここで(悪い演技を)やって良かったと思えるようにしたい」

 12月のジュニアGPファイナルは直前のインフルエンザで棄権。ここから、世界ジュニア選手権への精神統一が始まる。

 ◆16年12月24~25日、全日本選手権 シニアに交じって4位。「世界ジュニアの切符が目標だった。まずは(出場が決まって)良かったのかなと思う」

 そして、今までに聞いたことがないコメントに遭遇した。

全国中学生スケート大会で優勝した本田真凜は、表彰式で賞状を持ち笑顔を見せる(2月7日)
全国中学生スケート大会で優勝した本田真凜は、表彰式で賞状を持ち笑顔を見せる(2月7日)

 ◆17年2月4日、全国中学校スケート大会 SP2日前。「今シーズン始まる前から決めていた目標が世界ジュニア。最近、SPはノーミスが続いている。ノーミスだと不安になる。あんまり“ノーミス券”は使いたくない。完璧すぎず、ボロボロすぎない演技をしたい」

 ◆17年2月6日、同大会SP 予告通り? ジャンプの1つをミス。「今回はちょっとした失敗があって、ホッとした」

 その真意は、目標とする世界ジュニア選手権で“最高の演技”をするための心の作り方だった。SPのノーミス続きに不安があり「1度ミスをしておきたい」という気持ちからきていた。本田はいつも試合前、観客席の4方向に1人ずつターゲットを決める。その観衆4人へ視線を送りながら、思いを伝える演技をする。視野が広い。幼少期から「『ジャッジに向けて滑る』っていうのが分からない」が持論で、続けてきた。

 それだけ「会場全体へ見せる」ことにこだわる本田が、この大会では「お客さんの反応が分からないぐらいシャットアウトした」。脳内を16年に初優勝した世界ジュニア選手権に切り替えた。演技前には強豪ロシア勢の国内大会のスコアを頭に入れ、観客席の上まで人がいる想定でリハーサル。全ては「1年分の集中力」を台湾に持ち運ぶ準備だった。

■初対面の相手にもニッコリあいさつ

 そして17年3月、自己新の合計201・61点で世界ジュニア選手権2位。本田はこうも言った。

 「世界ジュニアに2回出て(SP、フリー合わせて)4回演技したのが全部完璧だった。まぐれじゃなく、すごく自信になった。今回の試合で(大舞台での強さを)分かってくれる人がいたらうれしいです」

 初対面の相手にもニッコリ「おはようございます」とあいさつし、立っての取材対応では、いつも体全体の角度を変えながら、質問者の目を見て答える。そんな15歳が競技になるや、周囲が驚くことを楽しんでいるように我を貫く。「1戦1戦、全力で戦うだけです!」。そんなありふれた言葉とかけ離れたスタイル。百戦錬磨のベテランのように、意図して波を作り、その頂点を大舞台に持っていく。

 本田は来季を見据えて言った。「SPは(難易度の高すぎる構成で)勝負するというより、ノーミスというのが絶対条件。でもフリーはハラハラしてもらう演技を続けて、大事なところだけを頑張りたい」。

 誰もが、平昌五輪出場に向けて「GPシリーズ、全日本選手権(いずれも出場未定)…。相手のレベルも上がるし、全部集中しないといけないんじゃないかな?」と思ってしまう。だが、本田にそんな固定観念はない。いつも忘れかけるのだが、4月から高校生の15歳。怖いもの知らずの特権で進む五輪ロードにも、本田にしか描けない物語がある。【松本航】

女子で2位の本田真凜(左)と3位坂本花織は優勝したアリーナ・ザギトワと笑顔を見せる(3月18日)
女子で2位の本田真凜(左)と3位坂本花織は優勝したアリーナ・ザギトワと笑顔を見せる(3月18日)

 ◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。兵庫・武庫荘総合高、大体大とラグビーに熱中。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当となり、15年11月から西日本の五輪競技を担当。