ラグビー元日本代表ロックのトンプソン・ルーク氏(39=近鉄アドバイザー)には、「献身的」という言葉がよく似合う。

W杯4大会連続出場。昨秋の日本大会で何度も体を投げだし、過去最高の8強に貢献した姿が記憶に新しい。自称「おじいちゃん」は、常に見る者の心を揺さぶった。記者席で開いたパソコンに、私も「献身的」と打ち込んだことがある。

最近、その3文字に至る深みを感じる機会があった。1月に現役引退したトンプソン氏が、14シーズン在籍した近鉄。そこで3年目を迎える野中翔平(24)を取材した時だった。

野中は大阪・東海大仰星高(現東海大大阪仰星)主将として、13年度に全国高校大会優勝。同大を経て、社会人2年目の19~20年シーズンで一気に主力に上り詰めた。当然、同じFWのトンプソン氏と共に戦い、すごさを肌で感じたという。

「一緒に試合に出ていると、その中で何度も『あっ、この人、自分に勝った』と思う瞬間があるんです」

例えば苦しい時間帯の防御。防御ラインを敷くために目標の位置へと走る時間は、自分との戦いになる。

「『しんどい』『脚が止まる』というタイミングが必ずあります。結果的に目標の場所にいけなくても、相手がそこを攻めてくる気配がなければ『少し遅れても…』となってもおかしくない。でも、トモさん(トンプソン氏)は、そこで自分に勝つ。味方が抜かれそうになると、ギアを上げて、そこにいる。小さな局面から、常に勝ちにこだわっていたんです」

20年1月19日、東京・秩父宮ラグビー場。トップチャレンジリーグ(トップリーグ2部相当)最終戦の栗田工業戦は、トンプソン氏の現役最終戦だった。チームには合言葉が生まれた。

「トモのために」-

試合前のロッカー室でも、その思いは共有された。

「今日は必ず良い試合をして、トモを送りだそう」

そんな仲間の言葉を聞くたびに、首を横に振ったのがトンプソン氏だった。

「そうじゃない。チームのために勝つ。僕は関係ないよ」

野中はトンプソン氏から「ノナ」と呼ばれ、近鉄入社直後には握手で迎え入れられたという。最初に懐の深さに魅了され、ピッチでは「こだわり」に触れた。

「僕は最終戦でトモさんが『俺のためにプレーなんて、してくれるな』と言っているように聞こえました。全員から愛される『ヒーロー』より、本当の『チームマン』を選ぶ人でした」

試合後、戦いを終えたトンプソン氏が右手を差し出してきた。固くて、痛い握手をしながら伝えられた。

「次はお前たちが引っ張っていってくれ」

短いやりとりだったが、身震いをした自分がいた。

シーズン終了後、トンプソン氏は選手が選ぶチーム内MVP「中井賞」を新設した。トロフィーまで自ら調達し、こう願っていた。

「これはハードワークとリスペクトの文化を生み出す、ライナーズにとって特別なカップです」

野中はその初代受賞者となった。3年目のシーズンへと準備を進めていく春、新型コロナウイルスの影響で活動には制限が出ている。それでも視線は、常に「チーム」へと向いていた。

「人が変わっていっても、変わらないのが『文化』。それを作るのは選手だと思います。自分たちがプライドを持って、愛せるチームを作りたい。それがファンの方に届いて、愛されるチームになると思います」

「ヒーロー」ではなく「チームマン」。トンプソン氏の献身的な背中は、道標となっていく。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)


◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは西日本の五輪競技やラグビーが中心。18年平昌五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを担当し、19年ラグビーW杯日本大会も取材。

トンプソン氏が用意した「中井カップ」を手にした近鉄フランカー野中(近鉄グループホールディングス株式会社提供)
トンプソン氏が用意した「中井カップ」を手にした近鉄フランカー野中(近鉄グループホールディングス株式会社提供)