フィギュアスケートで高い関心が寄せられる女子シングル。そこで同世代の日本一も経験したスケーターが、新しい道を選んだ。

この春、岩野桃亜(もあ、17)はアイスダンスへの転向を決めた。

「1からフィギュアスケートを習っているようです。『別のスポーツなのかな?』というぐらいの違いがあります。自分の好きなことをやれている、幸せを感じています」

東京五輪の余韻が残る8月中旬、岩野は今の率直な思いを明かした。

4年前の夏に行われた全日本ジュニア強化合宿。13歳の中学生はこう言った。

「あっという間に女子もトリプルアクセル(3回転半)や4回転ジャンプの時代になると思う。私も跳べるようになりたいです」

2014年全日本ノービス選手権でノービスB(6月30日時点で満9~10歳)優勝。翌15年はノービスA(同時点で満11~12歳)で紀平梨花、山下真瑚に続く3位、16年も住吉りをんに次ぐ2位と世代の中心にいた。さらなる飛躍を誓い、舞台はジュニアに移った。

だが、描いた青写真との距離は遠のいた。

身長の伸びに加え、故障も重なった。満足にジャンプを跳べない期間で磨いたのがスケーティング。10年バンクーバー五輪男子銅メダルの高橋大輔を育てた長光歌子コーチ(70)からは、丁寧な指導を受けた。

「スケーティングの奥深さにハマりました。歌子先生から『みっちりやらないと、ステップを踏めないよ』と大事さを学びました」

深みが出始めた滑りで関係者からも評価を受ける一方、高難度化が進むジャンプでは後れを取っていた。

「良くなるために精いっぱいやっているつもりでも、成績が伴いませんでした。そう悩んでいる時に…」

転機は突然やってきた。

今季も当初はシングルを続ける予定だった。ショートプログラム(SP)、フリーの振り付けも終わっていた。だが、長光コーチとの話し合いの中で、アイスダンス転向の話題が出た。

「『このままいくより、思い切り演じ、あなたらしく輝ける場所を見つけた方がいいんじゃない?』という言葉をいただきました」

4月、一時帰国していた元アイスダンス選手の平井絵己さん(34)にスケーティングの指導を受けた。平井さんも賛成してくれた。

「『アイスダンスも簡単な世界じゃない。二足のわらじより、一本にした方がいいよ』と助言をもらいました。絵己先生のレッスンを受けて、やってみたい気持ちが強くなりました」

かつて関大に在籍した平井さんは、長光コーチとの関係も深かった。引退後は現役時代のパートナーであるマリオン・デラアスンシオンさん(32)の地元、フランス・リヨンで共に後進の指導を行っていた。

7月初旬。アイスダンス転向を決断した岩野は、リヨンへと向かった。

メインコーチはアイスダンスの五輪金メダリストも育てたミュリエル・ザズーイさん。まだパートナーはいないため、1人で新たな種目の滑りを習った。片足で行う「スリーターン」という基本的な技術。その部分だけで15分を要した。

「ミュリエル先生に『それはシングルのスリーターンだね』と言われて…。ダンスは膝を曲げ、伸ばして、また曲げるという動作が加わるんです。エッジ(スケート靴の刃の使い方)が深くなりました。フリーレッグ(氷についていない方の足)もパートナーの足に当たったらいけない。いつも『できなくて当たり前だよ』と言ってもらって、基礎の部分を、本当に丁寧に教えていただいています」

長光コーチの下でともに練習した高橋は、昨季にシングルからアイスダンスへ転向。偉大な先輩の挑戦も「むっちゃ大きいです」と岩野の背中を押した。未来ある17歳の口調は弾んだ。

「自分の強みを発揮できる場所があることって、恵まれていると思います。アイスダンスではパートナーと2人で作品を作って、国際試合にも出てみたい。何より、見る人の心に残る演技をすることが目標です」

靴はまだシングル用。リヨン到着日にはスリの被害にもあった。出だしから順風満帆ではないが、岩野の表情は明るい。これから壁にぶつかった時、この初心が支えになる。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは西日本の五輪競技やラグビーが中心。18年ピョンチャン(平昌)五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを担当し、19年ラグビーW杯日本大会も取材。