フェンシング女子サーブルの江村美咲(24=立飛ホールディングス)が今日22日開幕の世界選手権(イタリア・ミラノ)で2連覇に挑む。阪神、ロッテで活躍した鳥谷敬氏(42=日刊スポーツ評論家)がアスリートに迫る「鳥谷敬×パリ五輪の星」。第10弾は24年パリ金メダル有力候補の知られざる1年間に迫った。2回連載の後編では悩みを打ち明けた世界女王が、プロ野球歴代2位の1939試合連続出場を誇る鉄人を質問攻めした。【取材・構成=佐井陽介、木下淳】
【対談前編】フェンシング世界女王江村美咲が鳥谷敬氏に明かした「燃え尽き症候群」世界選手権連覇への覚悟
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鳥谷 大学卒業後は企業に所属せず、プロとしてプレーされているんですね。
江村 高校を選ぶ時(大原学園高に通いながらJOCエリートアカデミーに入校)とか、大学(中央大)を選ぶ時とか、毎回そうだったんですけど、まだ人がやっていないことに挑戦したいという気持ちがありました。もう1つは、大学4年生時に20年に東京五輪を迎えるはずが延期になって、卒業後に五輪が行われるとなった時、それまで支援してくださったスポンサーの方々に恩返しできないな、と。どこかの企業に就職して1社所属になって、大学まで支えてくださった何社かの方々にお返しできないのが自分では納得できなかったんです。
鳥谷 なるほど。そんな理由があったのですね。
江村 私からも質問いいですか? 鳥谷さんはプロ野球歴代2位の1939試合連続出場という記録を持っていますよね。それだけ長い期間ずっと出られていたら、ちょっと野球から離れたい、練習したくないとは思わなかったですか?
鳥谷 いや、朝起きて「もう行きたくない」はしょっちゅうでした(笑い)。でも、そんな日はとにかくまず球場に行っちゃいました。人って練習を全くしたくないと思っても、練習場に行って、ただ座ってるだけとはならないものなんです。「せっかく来たんだし、少し何かしようか」から「あれ、こうすればどうだろう」と違う気持ちも出てきて、何となくヒントに気付いたり。そんな生活を現役時代のプロ18年間はやっていました。だからか、おかげさまで今はもう野球も見たくないぐらい(笑い)。ボールを持ちたくないし、バットも振りたくない状態です(笑い)。
江村 視野が広いというか、心が寛大というか…。だからこそ長く続けられたのでしょうね。もう1つ気になることがあります。野球って団体スポーツじゃないですか。自分のことだけを考える気持ちと、チームのことを考える気持ちと、どんな風に切り替えていましたか?
鳥谷 自分は最初、個人スポーツだと考えていました。打席に立つのは自分だけだし、ボールが飛んできて、自分が捕って投げるベストの動きをすれば、それに仲間が応えてくれるだけという感じで。幼少期から30歳過ぎぐらいまではそんな感じでしたね。一方で、32歳を超えたぐらいかな、自分の技術とか立場が安定してくると、自然とチームスポーツだと感じられるようになりました。
江村 へぇ…そうなんですね。
鳥谷 自分の実力とかが一定のラインを越えて初めて、周りを生かすために自分は何しなきゃいけないとか立場が明確になって、自然とチームスポーツだと思えるようになりました。そう考えれば、最初から「俺はチームのために」と言っている選手で一流になった人は見たことがない。自分のためにベストを尽くして、気がついたらすごくチームのためになっている、はありますけど。年齢と立場が変わってきた時に、チームをこうやって良くしなきゃ、周りのことを考えなきゃと自然に感じる瞬間が来るような気がします。
江村 実は今、そこで悩んでいて…。フェンシングは個人戦の次に団体戦がある。個人戦でライバルだった選手とも団体戦では仲間として戦わないといけない。最初は試合会場でピストに立つのは自分だけなので、自分のことさえしっかりやってればいいと思っていたんですが、なかなか…。野球も一緒かもしれませんが、フェンシングも1点1点があっという間に入っていくので、流れがすごく大事で。そうなると今の自分のように、自分の結果だけを考えて練習していていいのかなと、最近すごく思っていたんです。でも、いつか自然に、私がこういう流れをつくったらこうなるだろうなとか、そこまで考えられる時期が勝手に来るのかもしれませんね。
鳥谷 今まで以上に技術が上がって立場も明確なものになった時、おそらく自然にチームのことを考えられるようになるのではないでしょうか。それまでは自分の価値を高めきることを考えた方がいいんじゃないかなと、個人的には思います。自分はそうでした。
江村 本当に参考になりました! 今日はありがとうございました!
鳥谷 いやいや、こちらこそ本当にありがとうございました!
◆江村美咲(えむら・みさき)1998年(平10)11月20日、大分市生まれ。父宏二さんは88年ソウル五輪フルーレ代表。08年北京五輪では日本代表監督として太田雄貴を日本初の銀に導く。母孝枝さんもエペの世界選手権代表。小学3年で始め、JOCエリートアカデミー(大原学園高)から中大。16年リオ五輪はバックアップ。21年東京五輪は団体で5位。W杯とGPのメダル獲得数は7(金1銀3銅3)。21年4月から日本初のプロとして立飛ホールディングスを筆頭に複数社と契約、スポンサー費で競技に専念する。コロナ禍にスポーツフードスペシャリストの資格を取得。170センチ。右利き。血液型A。


