【夢幻のグローバル・リーグ:第2話】ベネズエラの首都・カラカスに2万6000人を集めプレーボール/祝! 野球伝来150年②

野球が日本に伝わり、2022年で150周年を迎えました。野球の歴史を振り返る不定期連載Season2は、国際化の先駆けとも言える、あるリーグに焦点を当てます。事実は小説よりも奇なり、全9回。(敬称略)

ストーリーズ

古川真弥

1969年(昭44)の1シーズンだけ開かれた「グローバル・リーグ」。日本から参加した「東京ドラゴンズ」は4月24日、ベネズエラの首都カラカスでベネズエラ・オイラーズとの開幕戦を迎えた。

地元チームと東洋からやってきたチームとの対戦は注目を集め、カラカス球場で行われたナイターには約2万6000人が詰め掛けた。

試合は、0―6でドラゴンズが敗れた。元大洋(現DeNA)の右腕、室井勝が先発するも6回6失点。チームは計13安打を打たれた。打線も3Aからきた投手に手を焼き、4安打完封負けを喫した。

▷高揚する森監督

日刊スポーツは試合直後、カラカスに国際電話をかけ、当時33歳の監督・森徹にインタビューしている。

◆森徹(もり・とおる)1935年(昭10)11月3日、旧満州(現中国東北部)生まれ。早大学院から早大に進む。東京6大学リーグでは立大・長嶋と同期で、強肩強打の外野手として活躍。2年時の55年春から3季連続を含む4度のベストナイン。58年に中日入りし、2年目で4番を打ち、31本塁打、87打点の2冠。1年目の58年から3年連続で外野手のベストナインに選ばれた。62年から大洋(現DeNA)、66年から東京(現ロッテ)。68年限りで引退。通算1177試合、971安打、189本塁打、585打点、打率2割5分1厘。オールスター5度出場。武道の達人でもあり、柔道、合気道、空手で6段。11年から全国野球振興会の理事長。14年2月6日、肝細胞がんのため死去。78歳。現役時は173センチ、95キロ。右投げ右打ち。

「完敗だった。相手の投手は球がすごく速い。それにチェンジアップやスライダーのコントロールがよかった」と認める森だったが、悲壮感は伝わってこない。むしろ、ざっくばらんな語り口からは高揚感すら漂う。

「球場はとても立派だ。照明も明るいし、内野には芝が張ってある。内野スタンドの感じは東京球場のようで、外野は大阪球場を思い出すような、一流の球場だ」

開幕戦を3面の肩(2番手扱い)で報じる1969年4月26日付の日刊スポーツ3面。頭記事、打撃練習に飛び入りした巨人川上監督の美しい打撃フォームにも注目!

開幕戦を3面の肩(2番手扱い)で報じる1969年4月26日付の日刊スポーツ3面。頭記事、打撃練習に飛び入りした巨人川上監督の美しい打撃フォームにも注目!

「(観客は)日本チームが打ったりしても、盛んに拍手していた。日本チームの人気はすばらしい」

「非常に蒸し暑い。ホテルへ帰ってきてもまだ汗が止まらない」

「主審は岡野さんという日本人だった。なんでも米国の審判学校で勉強し、大リーグのキャンプなどで練習してきた人らしい」

「試合前に向こうの監督と話し合ったが、スペイン語でチンプンカンプンだった」

「食事はうまい。いろいろと気を使ってわれわれにあったものを作ってくれる。コメのメシが食べられないのが不自由なくらいだ。あとは快適だ」

▷「ハイディ」古賀英彦で初勝利

当初138試合だったリーグ戦が100試合ほどに減るなど、リーグ運営は手探りのまま進んだ。決して恵まれた環境とは言えなかった。それでも、日本でプロ野球をクビになった選手たちは、もう一花の思いで、アマ球界から飛び込んだ選手たちは、ここから羽ばたく思いで、異国での奮闘を続けた。

翌25日は、カラカスから西に100キロあまりの町・マラカイでベネズエラとの第2戦を迎えた。前日と変わって打線が奮起。しかし投手陣が踏ん張れず、7―8の逆転負けだった。

初勝利は、カラカスに戻った26日の第3戦。古賀英彦がベネズエラ打線を抑え、1―0で勝利した。

古賀英彦と聞いて、ピンとくる人もいるだろう。後年、ダイエー(現ソフトバンク)やロッテで2軍監督などを歴任した通称「ハイディ」は、当時29歳の右腕だった。

近大から、62年に巨人入団。プロで外野手に転向した。3シーズンののち、退団し渡米。マイナーで再び投手としてプレーを続けた。アメリカで待ち受ける形で東京ドラゴンズ入り。得意な英語とともに、チームに欠かせない存在となっていた。

▷首位を快走…5月16日に暗転

初日が出たことで、ドラゴンズは勢いに乗った。連勝で五分に戻した後、3敗目を喫したが、そこから1分けを挟み5連勝。米国・ロサンゼルスやプエルトリコのチームにも勝利を重ねた。5月16日までに11試合を終え、7勝3敗1分けの首位に立っていた。

ところが、7勝目を挙げた5月16日のベネズエラ戦が、結果的にグローバル・リーグにおけるドラゴンズ最後の試合となった。そして、その試合に監督である森の姿はなかった。ある使命を帯びて日本に帰国していたからだ。(つづく)

▼「祝! 野球伝来150年」Season2 連載一覧▼

①「羽田発62便に乗り込んだ25人」

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