人生20年説。80年で4回生きられる。

各界トップ達にインタビューした1991年の連載「21世紀への伝言」。数学者・森毅さんの人生論は、令和の私たちにも勇気をくれる。21世紀の日本人に送る20世紀からの「伝言」、そして「声援」として受け止めたい。(※所属、肩書き、年齢、表現など1991年当時のまま)

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久保勇人

<21世紀の日本人に送る20世紀からの伝言>数学者・森毅さん(復刻連載5=91年6月9日紙面掲載、所属、肩書き、年齢、表現など当時のまま)

森さんは、今年3月に京大教授を定年退官して以来「元京大教授」と呼ばれることを嫌い、「フリーター」と自称しています。「20年ずつ別の人生があると考えたら、一つぐらい失敗しても楽やんか」という独特の持論は、高齢化社会を迎えつつある日本人への問題提起といえます。

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定年になるとガックリする人がいるけど、あれは京大教授なら京大教授という社会的肩書が大き過ぎるんや。年取ったら、社会や家族とのつながりが減るに決まってる。年寄りの自立とは、基本的に自分一人で生きなしゃあないってこと。僕の好みでないのは、「オレが30の時にこうした」とか「周りが大事にせん」とかブツブツ言う年寄りね。あれはなりとうない。いつまでも、おじいさんやおばあさんになれないのも不幸や。

そこで考えたのが「人生20年説」。体の物質なんて20年もすれば入れ替わる。頭の配線も組み替わる。もう20年前のオレは赤の他人。20年ずつあると思うたら、80年では4回生きられる。

今の男は第3の人生(40歳から)の問題が大きい。社会から自立することだけど、それは定年からでは遅いんよ。大体、第2の人生(20歳から)は、社会人、家庭人としていろいろと抑圧されてるわけ。「いつまでもガキしてるんじゃない」とか言われて一生懸命生きざるを得ないよね。苦労が多かっただけに、第3の人生ではそれにこだわる可能性がある。自立できないおじさん、おばさんというのは、そういうヤツよ。自分の苦労したことを客観視できずに「大体、社会ってこういうもんや」とか説教する。40過ぎてなんぼ継続したところで、50になると衰えるに決まってるわけ。衰えを意識しながら頑張るというのは、つらいがな。一生考えたら、第2の人生をいかにこだわらずにあっさり40ぐらいでクリアするかというのが、第3の人生以後のかなりのポイントだと思う。

今、よういわれる「子供が輝かない」というのは、「第1の人生(0歳から)は、第2の人生のため」という関係が強すぎる。「20歳までをどうするかで一生が決まる」というから、「もう第2の人生も決まってるのか」と思って第1の人生がきつくなるわけ。「人生、1回1回別や」と思うたら、「一つぐらい失敗しても、また次があるわ」と気楽でええやないの。それぞれの人生は、深層では一つにつながってるかもしれんけど、それぞれ生き方は違う。その方が、それぞれの人生が生き生きしてくるのよ。僕自身の最終的な理想は、古いお寺にある古い木や石のようになること。ただ存在しているだけやけど、それがあることで風景が締まる。ムカデとかいるかも分からんけど、何となく心安まるから行ってみたいと。そういう置物みたいな存在が理想や。【聞き手 久保勇人】

【インタビュー後記】

森さんは、大変な照れ屋で繊細な人だ。写真撮影のために京大などに同行してもらった。京大正門前は夕方の出入りの激しい時間帯だったが、意外に元名物教授に気付く人はいなかった。車からサッと飛び出して、撮影が終わるやサッと車内に駆け込んだ森さんの早業のせいだ。きっと「定年退官したのに、大きな顔して入っていけるか」という森流美学があったのだろう。インタビューは予定時間を2時間もオーバーしたのに、子供のような笑みを見せて、こちらに分かるように丁寧に話してくださった。ふだんのムスッとした顔は「都の妖(よう)怪」そのものだが、実はスマートなダンディズムを持った人に違いない。きっと女性にももてるはずだ。

(※所属、肩書き、年齢、表現など1991年当時のまま)

★森毅(もり・つよし)1928年(昭3)1月10日、東京生まれの大阪育ち。旧制三高(現京大総合人間学部)を経て、東大理学部数学科卒。東大時代に評論活動を始める一方、長唄、三味線などを習得。一時は芸能関係の業界に入ることも真剣に考えた。1951年北大助手になったが、1956年に突然辞職、全国を放浪し始めて話題になった。1957年に京大助教授になり、教養部教授を1991年春に定年退官、名誉教授。京大時代から、数学教育問題に取り組み、数学教育協議会副委員長も務めた。教え子に浅田彰氏など多数の人材を輩出。著書は「文化と数学」「学校ファシズムを蹴っとばせ」「ものぐさ数学のすすめ」など多数。2010年7月に82歳で死去。

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