[ 2014年2月17日9時19分

 紙面から ]声援を送る女子ジャンプの伊藤(左)と川本総監督(撮影・奥村晶治)<ソチ五輪:ジャンプ>◇決勝◇15日◇男子ラージヒル(LH=HS140メートル、K点125メートル)

 7大会連続出場の葛西紀明(41=土屋ホーム)が、真の「レジェンド(伝説)」になった。ジャンプ男子ラージヒルで銀メダル獲得した。

 「レジェンド」を支えてきた人々も、苦労人の銀メダルを万感の思いで受け止めた。葛西紀明(41)の所属先、札幌市の土屋ホームでは、16日未明からパブリックビューイング(PV)を開催し、社員ら約100人が応援。ソチまで応援に出向いていたスキー部の川本謙総監督(64)は、厳重なセキュリティーをかいくぐって「納豆」を差し入れしていた。“粘り”のジャンプでつかんだ「銀」を喜んだ。

 札幌市の土屋ホーム本社大会議室で行われたPVで、川本総監督は現地からの映像を食い入るように見つめていた。指定席の最前列。1回目139メートルの大ジャンプで2位につけると「おーっ、やったー、さすがだ」。地鳴りのような歓声、「葛西コール」の中の2回目133・5メートルで銀メダル以上が確定すると、スタンディングオベーションで拍手、クラッカーを打ち鳴らした。

 惜しくも金メダルはつかめなかったが、ノーマルヒル(NH)8位に終わった日、川本総監督は葛西とメールで約束した納豆36パックを現地に持ち込んだ。「何度も検査で引っ掛かったんですが“粘り”強くその度に説得しました」。空港税関では危険物とみなされ顔写真を写され、ソチ会場入りの際は、パックのふたを開けられて中身をチェックされた。応援に出向いたジャンプ場では「何だこれは」と警備員と押し問答。「粘っていてにおうし腐っていると思ったのでしょうね」と苦笑する。

 本人とは接触できず、競技場にいた原田雅彦氏に「葛西に渡してほしい」とお願いしたという。翌9日、葛西から届いたメールには「夜食に食べました。粘りに粘ってメダルを取りたい」。納豆パワーで見事、念願のメダルを手に入れた。

 川本総監督と葛西が出会ったのは、01年秋だった。東海大四高卒業後に所属した地崎工業が98年3月末で休部となった。その後、葛西はマイカルに移り、競技を続行。だが、01年9月にマイカルが経営破綻した。スキー部の存続が困難になったときに、当時土屋ホーム社長だった川本氏と再会。葛西の熱意が伝わり、選手3人を丸ごと受け入れた。創部は同年11月1日。シーズン開幕直前だった。

 だれよりも葛西の苦労、五輪への思いが分かる。この日、PVの前には札幌のパワースポットとして知られる白石神社を参拝。ロシア硬貨と日本円で555円をさい銭箱に投じた。「GO、GO、GOの意味を込めて555円。御利益があったかな」。うれしそうな満面の笑みだった。【奥村晶治】