今から4年前の15年6月22日、20年東京オリンピック(五輪)の開催都市提案追加種目の最終候補が8つに絞られた原稿を書いた。翌23日の1面には「東京五輪 サーフィン」の大見出し。日刊スポーツの歴史が始まって以来、初めてサーフィンが1面に掲載されたが、横には「まさか まさかの」の文字も躍っていた。五輪でサーフィンをやるという夢のような話、半信半疑だった。

昭和時代の終盤、70年代から80年代にかけて、サーフィンは日本でも大ブームになった。「サーファールック」「陸(おか)サーファー」などの言葉まで生まれた。平成時代にブームは落ち着いたが、ファッションや音楽とともに若者文化として日本に定着した。

スケートボードも同じだった。大ブームの後も「やんちゃ」な若者たちの「遊び」として広まった。サーフィンとともに、あくまでも「する」スポーツ。陸上や体操などの五輪競技とは別世界のものだった。

来年の東京五輪ではサーフィン、スケートボード、スポーツクライミング、空手が追加種目として初めて実施される。空手を除く3競技は24年パリ五輪の追加種目候補で、そこにブレークダンスも加わった。コンピューターゲームのeスポーツまで、五輪競技となることがうわさされる。

競技を見て、選手に話を聞くと、平成時代に記者として培ってきた「常識」が音を立てて崩れていくのを感じる。特にサーフィン、スケートボード、ブレークダンスなど「カルチャー」を重視する競技は五輪競技の中でも異質。だからこそ「五輪に新しい価値を創造する」のだろうが。

【×五輪至上主義】

サーフィン東京五輪代表候補の大原洋人(22)は「五輪が目標ではない。通過点でしかない」と話す。多くの五輪競技の選手は「出場」「金メダル」を目標に掲げる。そんな中で「通過点」と言い切る潔さ。最初から五輪を目指していないから、五輪至上主義もあり得ない。

【×勝利至上主義】

スケートボード男子のエース、堀米雄斗(20)は、最終的な目標を「誰もできない、やばいトリック(技)を決めること」だという。ジャッジの採点では、独創性も重視される。尊敬されるのは誰もできないことをするスケーター。勝利至上主義という考えも存在しない。

【×パワハラ問題】

ブレークダンスで昨年のユース五輪銅メダルのシゲキックス(16)は「教わるのは嫌い。自分でやりたい」とブレークダンスを選んだ理由を話した。指導を受けるよりも仲間と工夫し、上達する。多くの場合、コーチは「YouTube」。そこに師弟関係にありがちなパワハラは起こらない。

【×猛練習】

スケートボード・パーク世界女王の四十住さくら(17)は昨年金メダルに輝いたアジア大会から帰国した空港で「今、一番したいのはスケートボード」と話した。楽しいから練習する。いや、練習とも思っていない。指導者もいないから強要もされない。猛練習やスパルタ練習などあり得ない。好きな遊びを一日中するだけだ。

「汗」「涙」「根性」など無縁。そんなスポーツが五輪の仲間になる。IOCは「若者人気」に期待するが、それ以上に新しいスポーツには従来のスポーツを変える力がある。

もともと、スポーツ(sports)の語源はラテン語の「deportare(デポルターレ)」だという。「気晴らし」や「遊び」という意味。楽しみでやるのがスポーツ。選手たちの言葉には、本来のスポーツの魅力が詰まっている(とも考えられる)。

「平成」の最後に、日本のスポーツ界では多くの問題が起きた。IOC委員でもある日本アーバンスポーツ支援協議会の渡辺守成会長は「社会はすごいスピードで変化している。スポーツだけが止まっていたら、時代に取り残される」と話す。止まっていたツケが、「平成」の最後に噴出したのかもしれない。だからこそ変わらないと。「令和」時代、スポーツは大きく変わる。いや、変わらなければならない。【荻島弘一】(敬称略、この項おわり)