新型コロナウイルス感染拡大で東京オリンピック(五輪)は延期となった。選手が来夏の祭典で獲得を目指す五輪メダル。各競技でどのような歴史が刻まれてきたのか。「日本の初メダル」をひもとく。

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1988年ソウル五輪で初採用となった卓球は、日本初メダルまで24年かかった。12年ロンドン五輪、女子団体で平野早矢香(当時27)福原愛(同23)石川佳純(同19)が銀メダルを獲得した。

08年北京五輪では同種目4位。メダルまでの道のりは遠く険しかった。ソウル五輪後、平成最初の10年で日本卓球界は出遅れた。中体連、高体連、日本学生連盟、社会人の年代がおのおの、強化に努めたものの、縦の連携が不十分だった。小学年代には強化組織すらなかった。

各組織の壁を打ち破り、年代縦断の強化体制を構築したのが現在の日本卓球協会・宮崎義仁強化本部長だった。01年に男子監督に就任。引き受ける際の条件の1つが「小学生のナショナルチーム新設」だった。

海外の風も取り入れた。00年にドイツの強豪プロチームでヘッドコーチを務めたマリオ・アミジッチ氏をジュニア男子コーチとして招いた。中2だった水谷隼をドイツ留学で指導したのも同氏。女子では福原が05年から計4季、中国スーパーリーグに参戦。その後、石川佳純らも続いた。国内レベルを底上げし、トップ選手が海外で実戦を積む。両輪がかみ合った。

16年リオデジャネイロ五輪では男子の水谷がついに、日本初のシングルスのメダル(銅)を手にした。

それでも中国の壁は高かった。銀メダルを獲得したロンドンの決勝では中国に0-3と完敗。あれから8年後の今も中国は男女ともに、王座に君臨している。

ただ、日本も徐々に中国に迫りつつある。男子の張本智和は中国の世界トップランカーとも対等に渡り合える力を付け、女子の伊藤美誠は今年4月付で日本勢初の世界ランキング2位にまで浮上した。来年の東京五輪で中国を倒し、初の金メダルを獲得する。それが日本の悲願だ。【三須一紀】