オートバイの伝統ある大会として知られるボルドール24時間耐久ロードレースは9月17~18日、フランスのポール・リカール・サーキットで行われる。

100周年の記念すべき大会に初出場するのが、プライベートチームの「TONE RT SYNCEDGE4413 BMW(トネ・アールティー・シンクエッジ4413・ビー・エム・ダブリュー)」だ。

2013年に誕生したチームのメンバーは、本業と並行してボランティアで集う男たちで構成される。2回にわたる特集の後編は、その歩みに迫った。

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わずか3人の思いで立ち上がったチームだった。

2013年、代表を務める当時37歳の高村嘉寿は、2人の仲間と熱い思いを共有していた。かつて全日本GP-MONOを制した7歳上で監督の山下祐、そしてさまざまなバイクを器用に乗りこなすことにたけた当時40歳のライダー星野知也だった。高村が振り返った。

「どうせやるならみんなが知らないところにいきたい。『その向こうへ~』というコンセプトは、そこで生まれました」

その思いに賛同し、ボランティアで集い始めた男たちのモチベーションは高かった。限られた資金はマシンに注ぎ込む。そこには、かつて自身も選手として全日本選手権にスポット参戦していた高村の、ライダーへのリスペクトがある。

「できる限りマシンのレベルを落とさず、いいエンジンで思い切り走ってもらいたい。ライダーは何かあれば、生死に関わることもある。そこはぶれません」

発足から6年が経った2019年。思いは1つの形になって報われた。歴史ある鈴鹿8時間耐久ロードレースでクラス優勝。さらにはマレーシア・セパンで行われた世界耐久選手権に参戦した。欧州の強豪チームと中立地で真っ向勝負をする機会。8時間耐久でクラス3位に入り、その景色を目に焼き付けた。

「欧州や日本のホームでもなく、みんなが初めてのサーキット。とても自信になりました。空に揚がっていく日の丸を見て『かっこいいなぁ…』と思ったんです。向こうのホーム(欧州)でやって、力を示したいという目標ができました」

当時24歳で躍進に貢献した選手の渥美心は、自分を紹介するチラシを手に、つたない英語で他チームの陣営を回っていた。世界の舞台で活躍することが夢だった。10代から日本人選手が世界を目指すには実力はもちろん、資金面でも大きな壁が立ちはだかる。異なる道を信じ、努力を続けた。

仲間と共に世界の舞台へと駆け上がった渥美は今季「OG Motorsport BY Sarazin」から世界耐久選手権フル参戦が決定。日本を飛び出し、フランスへと移住した。送り出す側となった高村は、誇らしく見つめる。

「みんながそれぞれの立場で『その向こうへ~』と思っています。選手として、世界に飛び出してくれた。こちらもうれしいです」

5年前から総合工具メーカー「TONE」がメインスポンサーにつき、長期的な目線での支援を続けてくれている。欧州参戦を見据えて「BMW」とも手を組み、部品のやりとりなどで協力し合う。一見、盤石にも見える体制だが、内情は少数精鋭のプライベートチーム。9月のボルドール参戦に向けては「俺たちのサインボード、使っていいよ」という国内のライバルから、夜間走行の選手に指示を送る道具を譲り受けた。

「人と人のつながりに支えられています。ボルドールでもライバルのステッカーも貼ったまま、走ろうと思っています。共感してくれる方、手伝いたいと思ってくれる方を、僕たちはいつでも歓迎しています。人、お金…。応援にもたくさんの形がある。それぞれの立場から同じ方向を向いた人たちと、一緒に『その向こう~』を見に行きたい」

100周年を迎える、ボルドールの舞台は目前だ。

「今しかできない価値があるから僕たちは行く。転倒やトラブルがなければ、トップ5にいける自信があります。まずは残りの時間で、その準備を進める。そうして24時間のレースに何かが起きた時、表彰台が見えてくると信じています」

そこに、初めて見る景色があるはずだ。(敬称略、おわり)【松本航】