私は自宅でテレビ画面を凝視していた。早実が同点に追い付かれた9回裏、大社の攻撃は1死二、三塁。こんなことがあるのか。座っていたソファから腰が何度浮いたことだろう。
長くプロ野球界で生きて、野球のことは心得ている。そう自負しているが、明日なき高校野球のこの1球、1打に賭ける、一切の混じり気のない勝利への渇望が、こんなドラマを見せてくれた。
早実は左翼手を1年生の西村に替え、その西村を内野に配置した。投手の右斜め前。ちょうどこの回、同点スクイズを決められたあたりで、西村はグラブを構えた。私には想像はできた。あの位置でグラブを構えることの恐ろしさを。
大社の左打者藤江の打球が0・1秒にも満たない猛スピードで飛んでくる可能性がある。それもサヨナラが懸かった8強を懸けた大舞台で、1年生がその役目を担う。私は見ていて何とも言えない気持ちになった。大変なことになったと。
1死二、三塁でカウント1-1。右腕川上の3球目に、捕手はアウトローに構えた。しかし、外角を狙った真っすぐは逆球となり、内角高めへ。見送ればボールだろう。しかし、藤江は窮屈なスイングになりながらも迷わず打つ。大きくバウンドした打球は西村の前へ。記録上は7→3→2と渡る土壇場での起死回生の併殺となった。
ここで注目すべき点はいくつかある。まず、早実サイドの狙いは明確だった。スクイズをさせない、ということだった。ゴロで5人内野網を抜かれる、もしくは飛球が外野に飛んだら、もう仕方ない。割り切り、ただひたすらに三塁側へのスクイズだけを消した。明確だった。
対して大社はいくつか選択肢はあった。まずセーフティースクイズ。しかし、一塁に走者がいないため一塁手のチャージが可能になる。よって、一塁手に捕球させるセーフティースクイズのセオリーが通用しない。
ではスクイズはどうか。スクイズの場合は三塁手に捕らせるか、一塁手に捕らせるか、大きく分けて2パターンがあるが、まず西村を配置したことで三塁側へのスクイズは厳しかった。
それでも、あえてその思惑に沿って三塁側へのスクイズも100%消すことはできなかった。究極の場面だ。術中にはまったフリをして、その先の守備陣の混乱を狙うという考え方もあった。
大社からすれば、同点に追い付いている。もしも、スクイズが不発に終わっても、タイブレークでもう1度勝負ができる。ここでは大社に大きなアドバンテージがあった。
早実は一塁側へのスクイズをやりづらくするために、バッテリーは左打者のアウトローを狙ったと私は理解した。あえてミスを誘発するための三塁側へのスクイズか、もしくは左方向へ強い打球を打てる藤江に打たせるか。そのせめぎ合いの中で、大社は藤江に打たせた。
早実からすれば川上の逆球が幸いして、狙い通りの打球が西村に飛び、一塁手の冷静な返球もあって、絶体絶命の大ピンチから生還する、超ビッグプレーへとつなげた。
5人内野シフト。私は22年のセンバツ大会で山梨学院が木更津総合戦でのタイブレークで、センターを投手の左側に配置した特殊守備陣形を現地で見たことがある。その時は、木更津総合に一塁側へのバントをさせない守備陣形とし、三塁側へ精度の高いバントをさせるプレッシャーをかけていた。
結果は、右打者に引っ張らせる意図が実ったものの、打球が山梨学院の想定よりも伸びてタッチアップを許し、1死一、三塁と苦しくなり、最後は満塁策からの押し出しで決着している。
タイブレーク導入を機に、守備陣形はこれまでの踏襲を破り、どんどん進化している。早実の究極の攻めの5人シフトには、身震いする思いだった。もちろん、守った西村の勇気、冷静にホームを刺した一塁手国光の確実なプレーには頭が下がるが、誰よりも決断した和泉監督の勇気をたたえたい。
私は完全に流れは早実と感じたが、バントを決められない勝負のあやが試合を複雑に、そしてよりドラマチックにしていった。最後は11回裏、志願してバントを決めた大社の代打・安松の勇気には言葉を失った。あの三塁線を切れそうで切れないバントが、実質試合を決めた。
早実1年生西村が土壇場の早実を救い、一世一代の大勝負を買って出た安松も、また決死のバントを見事に決めたのだ。
最後に馬庭の中前ヒットは紙一重だったことを追記しておきたい。打球が飛んだ瞬間、私は投手川上に向かって「グラブを真っすぐに」と反射的に念じていた。それは、もっとも打球に近い距離にさらされている投手全般に言えることだが、とっさの打球に対し右投手ならば正面やや右側、左投手ならば正面やや左側の打球に対しては、グラブを逆シングルに出す傾向がある。
川上に向かい、ほぼ真っすぐに打球が飛んでいれば、グラブを真っすぐに出すことができただろう。しかし、馬庭の打球はわずか10センチほど右へズレた。このわずかなコースの違いが、最後勝負を決した。
思わず逆シングルにグラブを出し、ほんのわずか届かなかった。投手馬庭の打球が、投手川上の守備に一抹の迷いを与え、球史に残る熱戦は終わりを迎えた。
いい勝負を見させていただいた。こんなにも目まぐるしく勝機が両チームを行ったり来たりして、そのひとつひとつに両校監督の強い思いがぶつかり、そこに高校生がひたむきに体を投げうって勝利のために白球を追った。
試合が終わり、私は胸がいっぱいになった。できることなら、甲子園球場で、この目で見届けたかった。
野球にセオリーはあれど、野球の進化は止まらない。そして、それはプロ野球よりも、負けたら終わりの高校野球での究極の勝負の中から生まるのだろうと感じずにはいられなかった。
見届けた野球ファンすべての胸に深く刻まれる熱く、激しい勝負に、しばらくぼうぜんとしながら熱戦の余韻に浸っていた。(日刊スポーツ評論家)







