【阪神週間①川藤幸三】「世の中、社長や役員さんばっかりとちゃう」/代打の神様列伝vol.1

ウィークデー通しの阪神特集。第1弾は川藤幸三の登場です。誰がつけたか「球界の春団治」。見られの意識にプロの哲学がにじんでいます。(2015年3月15日掲載。年齢、所属などは当時)

傑作選

高原寿夫

平田勝男らとおどける=1985年2月、高知・安芸

平田勝男らとおどける=1985年2月、高知・安芸

▷球界の春団治

エース、4番打者の肩書を持つ選手はプロだけでなく、ほとんどの野球チームすべてにいる。だが「代打の切り札」という称号はプロ野球でも、必ずしも存在するわけではない。阪神にはそれが脈々と受け継がれている。「代打の神様」列伝、第1回はその意味について代名詞ともいうべき川藤幸三(阪神OB会長)がたっぷり語る。

◆川藤幸三(かわとう・こうぞう)1949年(昭24)7月5日、福井県美浜町生まれ。若狭高から67年ドラフト9位で阪神入団。「球界の春団治」と呼ばれるなど独特の人気を誇る。引退後の90、91年に阪神コーチ。その後は野球評論家などの活動を続けている。10年11月に7代目の阪神OB会長に就任。通算771試合、16本塁打、211安打、108打点。

「代打の切り札とか言うけどやな、みんな若いころはレギュラーやったもんが晩年、代打専門になるんや。その点、ワシはずっと補欠でやれたんやから不思議な話や。ズバリはったりだけでやってきたんやけどな」

──19年の現役生活で、川藤はレギュラーになったことはない。日本一の85年もベンチに入っていたが、放った安打は5本だけ。そんな川藤だが、主力並みの存在感を示した。

▷「憂さを晴らしに来る場所」

「プロに入ってくるヤツは、みんな定位置を取ろうと思って入ってくる。けどな、悲しいかな、8個しかないやないか。ポジションは。若いころは代走とか守備固めもやった。それでは目立たん。それで1面になるか? スポーツ新聞の。やっぱり代打や、と思った。生きるための苦肉の策とも言えたけどな」

巨人戦前、練習を見つめる。阪神OB会長を務める=2022年4月17日

巨人戦前、練習を見つめる。阪神OB会長を務める=2022年4月17日

──そう決めた試合がある。1978年(昭53)9月5日巨人戦(甲子園)。同点の9回2死一、二塁。巨人の投手は新浦寿夫。後藤次男監督に代打を告げられた川藤は見事にサヨナラ安打を放った。

「カーブにバットが当たって、三塁のうしろに落ちた。まぐれのサヨナラ打やったけど人生が変わった。『野手はお前だけしかおらんのか』みたいな感じの代打やったんやで。翌日は新聞の1面や」

「代打が活躍するのは、ええことや。世の中、社長や役員さんばっかりとちゃう。勤め人の世界、下地は苦労して、ヒラがつくって、おいしいとこだけ、上が持っていく…っちゅうような話は、よう聞くやないか。プロ野球は、そういう地道にやってる人たちが憂さを晴らしにくる場所でもあるんや。そこでレギュラーでのうて、最後に出てくるワシみたいな代打が、スカッとさせる。これがええんや」

▷ミスターからの高評価

──人気者になった川藤。思わぬ人物からの評価を覚えているという。

「ミスターの言葉はうれしかったな。いつごろやったかな、長嶋(茂雄)さんがテレビの解説で言うてくれたんや。『川藤の活躍で、代打という仕事が脚光を浴びた』ってな。ありがたかったわ」

誰からも愛された打撃フォーム=1979年8月28日、甲子園球場

誰からも愛された打撃フォーム=1979年8月28日、甲子園球場

──阪神に脈々と受け継がれる「代打の切り札」。他球団にも代打で活躍した選手はいるが、阪神は独特だ。

「そこが阪神のすごさというかな。ありがたいことにやな、代打の神様とか言うて、ファンやマスコミが祭り上げてくれるんや。ワシの後にも真弓(明信)、八木(裕)、それに桧山(進次郎)と続いてくれたからな。やっぱり伝統になっとるんやろ。そのワシだって、遠井吾郎さんの後ろ姿を見てきとるわけやからな。これからも続いていってほしいな」(敬称略)