【あの日あの紙面 母の日企画】「百恵さんに男児」の38年後の「百恵おばあちゃん」 見出しに歴史

【あの日あの紙面 母の日企画】「百恵おばあちゃん」という見出しの日刊スポーツ紙面から、あれこれ思いをはせました。過去紙面6枚のドラマです。(年齢、肩書き、表記、表現等は当時のまま)

特集記事

昭和の先輩記者たち、構成・高田博之

「百恵おばあちゃん」。2022年3月22日付の日刊スポーツ芸能面の見出しです。三浦友和さんと山口百恵さん夫妻の長男・三浦祐太朗さんに第1子が誕生したというニュースでした。待てよ、じゃあ祐太朗さんが誕生した時の日刊スポーツはどう報じていたのだろう。弊社データベースで捜索すると出てきました。1984年5月2日付1面に「百恵さんに男児」の見出しがドカ~ン。見返してみると、とっても愛に満ちた記事であり、コピーであり、写真でした。とりわけ、産気づいて出産するまでの“再現マンガ”は味がある。平成、令和、夫婦のスタイルは変わって来ましたが、昭和アナログにも良さがあるし普遍性もある。山口百恵さんの過去紙面&記事とともに、スーパースターの母への祖母への物語をたどります。(年齢、肩書き、表記、表現等は当時のままです)【構成・高田博之】

1984年5月2日付の日刊スポーツに掲載された“百恵さん出産までの再現5コマ漫画”。手書き感がたまらないほど暖かく、気持ちが伝わる。平成初頭までは社内に何人か“絵描きさん”が常駐していてニュースに対応していた。話を聞いてみたくて、この作者が誰か調べてみたが分からなかった。

1984年5月2日付の日刊スポーツに掲載された“百恵さん出産までの再現5コマ漫画”。手書き感がたまらないほど暖かく、気持ちが伝わる。平成初頭までは社内に何人か“絵描きさん”が常駐していてニュースに対応していた。話を聞いてみたくて、この作者が誰か調べてみたが分からなかった。

百恵さんに男児 やったね!オギャーと3438グラム

【1984年(昭59)5月2日付 日刊スポーツ紙面から】

百恵さん男児出産! 俳優・三浦友和(32)夫人で、元歌手の百恵さん(25=旧姓山口)が4月30日午後3時43分、東京・港区の山王病院で3438グラムの男児を出産した。母子ともに健康。出産中も手を握って励ました友和も「オレ、オヤジになった」と喜びいっぱいだ。出産の報が伝えられた1日、病院周辺には取材陣200人が詰めかけ、3年半前の2人の挙式を思い出させる大フィーバー。百恵さんは5日にも退院、その直後に親子3人で会見する。

◇ ◇ ◇ ◇

わずか40分の自然分べん。ほぼ予定日通りの完ぺきな出産だった。この間、友和はじっと愛妻の目を見つめ、手を握って「頑張れ、あとひと息だ」と励まし続けた。出産直後、50センチ、3438グラムの健康そのもののわが子を見た友和。「目とほっぺたがオレにソックリだ」と手放しの喜びよう。ひたいに汗を浮かべ、ちょっぴりやつれた百恵さんも「良かった」と涙ぐんで夫に笑みを返した。スムーズな安産。百恵さんは新野医師に「このぶんならあと2人は産めそう」と元気に言ったそうだ。

百恵さんのもとに新野博子医師から連絡が入ったのは4月30日午前9時前。「そろそろ時期だから入院して下さい」という気楽な通知だった。百恵さんはリラックスした気持ちで、友和所属の事務所テアトル・ド・ポッシュ社員運転のBMWで山王病院の4階の特別個室(1日3万円)に入院。そして同午後3時に陣痛、40分後に出産した。

実は、陣痛の起きる直前まで百恵さん本人も正確な出産予定日を知らなかった。妊産婦にプレッシャーをかけないように、という新野医師の考えからだ。本人にも「5月上旬から中旬」と幅広い見込みが伝えられていた。現実には、5月初めが当初からの出産予定。その見通しにも狂いはなかった。

出産が明らかになったこの日のマスコミフィーバーはすさまじかった。午前中にテアトル・ド・ポッシュからマスコミ各社に連絡が届くや、山王病院前には、新聞、雑誌、テレビ各社が詰めかけ、正午過ぎには200人に達した。第一報はテレビ朝日「アスタヌーンショー」。番組内で午後0時2分に出産を報じた。その後、一般紙も5紙が夕刊で報道、民放各局も午後6時台のニュースで報じた。

それにしてもこれだけの関心事をこの日午前までがっちり秘密に出来たのは、新野医師とテアトル・ド・ポッシュの間で隠密作戦がとられたからだ。百恵さんは、注目される大病院を避け、素顔のままで東京・六本木のウィメンズ・クリニックに通院。一方、テアトル・ド・ポッシュ側は、出産後には一斉発表することを約束し、病院名、通院日時は一切秘密。出産だけは完全を期すため、新野医師が顧問を務める山王病院の設備の整った分べん室を使用するという安全策をとった。

百恵さんの回復とすぐ隣のベビーベッドにいる赤ん坊の状況は良好で、早ければ5日にも退院。直後に病院近くで親子3人で会見する予定になっている。

友和出産中つきっきり パパ似だって 愛妻の手を握り「ガンバレ」

【1984年(昭59)5月2日付 日刊スポーツ紙面から】

こんなに大騒ぎをされた赤ちゃんもいない。お陰で、新米パパの三浦友和は、ゆっくりと父と息子の対面も出来ない。百恵ママのおなかから飛び出して、ヘソの緒を切ったとき、対面しただけだ。病院はマスコミに取り巻かれて、友和パパは近寄れないのだ。

30日、友和さんは東京・市谷の事務所テアトル・ド・ポッシュで、川口義広代表らと映画の次回作の打ち合わせを行っていた。そこへ午後3時、「陣痛が始まり、分べん室へ入りました」と山王病院から電話。友和さんは受話器を置くなり、愛車BMWに飛び乗って約5キロ離れた病院へ。10分後には分べん室に消えて行った。

そして40分後に無事出産。真っ赤な顔をした2世を確認した友和は、両親や森光子、峰竜太ら親しい人たちに電話で報告。その夜は、川口代表と乾杯をしようと中国料理を食べに行った。

「よかったね、といったら友和は、私が初めて見るような大きな笑顔を見せた。しかし、メシは全然食べなかった。女房が出産したばかりで、消耗していることを考えると食べられなかったのだと思います。老酒を2,3杯飲んで乾杯しました」と川口代表。

出産から一夜明けた1日、山王病院の前には取材陣が多く控えていた。友和も、午後6時半過ぎ病院に入り、百恵さんと再会した。一説には、バス、トイレ付きのホテル並みの百恵さんの隣室を借りた、との情報もあったが、川口代表は「仕事の打ち合わせもあるし」と否定していた。

2022年3月22日付の日刊スポーツ芸能面。見出しは「百恵おばあちゃん」一択ですね。「インスタグラムで明らかにした」という点が、そもそも昭和の報道と違います。

2022年3月22日付の日刊スポーツ芸能面。見出しは「百恵おばあちゃん」一択ですね。「インスタグラムで明らかにした」という点が、そもそも昭和の報道と違います。

友和おじいちゃん百恵おばあちゃん 三浦祐太朗夫人・牧野由依が女児出産

【2022年(令4)3月22日付 日刊スポーツ紙面から】

声優で歌手の牧野由依(36)が21日、インスタグラムを更新し、第1子となる女児出産を報告した。母子共に健康という。夫は、俳優の三浦友和と元歌手の山口百恵さん夫妻の長男で歌手の三浦祐太朗(37)。友和と百恵さんにとっては初孫となる。

牧野は「先日、無事に第一子となる女の子を出産致しました」と母親になったことを報告。「大きな産声を上げて元気に誕生してくれた命の温もりや重さに日々喜びを感じております」と子どもを持った思いをつづった。そして「一度しかない娘の成長の瞬間を大切にするとともに、牧野由依としてはもちろん、人として母としても成長し お仕事にもより深みを持たせられるよう 精進して参りたいと思います」などと続けた。

三浦もこの日、インスタグラムを更新し「私事で恐縮ですが、父になりました。コロナ禍で残念ながら立会い、面会は叶いませんでしたが、妻も娘も命懸けで頑張ってくれました。我が子の誕生にただただ感動しております」などと父になった喜びをつづった。

2人は20年6月に結婚を発表、昨年10月に妊娠を明かしていた。

1980年11月20日付の日刊スポーツ1面。世紀の挙式を3ページで全力展開している。幸せ200%の白黒写真が素晴らしい。カラーよりも表現力は上かもしれない。長倉記者の叙情的なニュース原稿も読ませる。今なら「飾り言葉は不用」と添削されそう

1980年11月20日付の日刊スポーツ1面。世紀の挙式を3ページで全力展開している。幸せ200%の白黒写真が素晴らしい。カラーよりも表現力は上かもしれない。長倉記者の叙情的なニュース原稿も読ませる。今なら「飾り言葉は不用」と添削されそう

百恵涙の花嫁 友和と永遠の愛 1億円挙式「普通の女」へ旅立ち

【1980年(昭55)11月20日付 日刊スポーツ紙面から】

新妻百恵が、幸福の絶頂感にむせび泣いた。芸能界ことし最大のイベント、俳優・三浦友和(28)と、山口百恵(21)の結婚式は十九日午後三時から東京・赤坂の霊南坂教会で、俳優・宇津井健夫妻の媒酌により行われた。6年間の恋を結実させたハッピーカップル。めったに涙を見せたことのない百恵も挙式の最中、感極まって涙とおえつを抑えきれなかった。二人は同日、東京・芝の東京プリンスホテルで初夜を迎え、二十日午後ハワイへの新婚旅行に旅立つ。

◇ ◇ ◇ ◇

百恵が歓喜の涙をとめどなく流し、おえつがチャペル内に響き渡った。午後三時、霊南坂教会で始まった荘厳な百恵、友和の結婚式。式次第はつつがなく進み、誓約式に移った。「愛は寛容であり、愛は情け深い。苦しいとき悲しいときもお互いに分かち合い、永遠に愛し合うことを誓いますか」の言葉に二人は大きくうなずき「誓います」とはっきりこたえた。そして牧師の手に百恵と友和の手が重なり合った。大中香代さんの賛美歌独唱が始まった。

そのときだ。百恵の両目に突然涙があふれ出し、ほおを伝わり始めた。涙はしばらく止まらなかった。美しい感動的なクライマックスシーンだった。昭和四十九年、東宝映画「伊豆の踊子」で友和と共演した百恵は抱擁シーンの撮影で、友和の力強い心臓音を耳にしたとき「この音は私の命。映画ではなく特別な意識を持った女として、もう一度この音を聞いてみたい」と友和にほのかな愛を芽生えさせた。あれから六年…スーパースターの引退に周囲のほとんどは反対をし、彼女自身大いに悩み苦しんできたものだ。しかし、愛を尊び、一人の女性としての道のりは決して平たんではなかったはずだ。それが今、牧師の前に最愛の人と永遠の愛を誓い合っているという現実…。あふれる涙は、愛を成就させた女・百恵のあかしでもあった。

だがそんなチャペル内のムードとは裏腹に教会周辺は大騒動となっていた。五千人のファンでもみくちゃ状態。大きな木の枝に立つ人、へいの上には百人もの人がよじのぼり、赤坂署員が「危険だから下りなさい」と絶叫する。

午後三時四十分、白いタキシード姿の友和、うっとりした表情の百恵が、騒動がエスカレートする教会前に姿を現した。約十分間フラッシュの洗礼。ウエストに手を回しニッコリほほえむ友和に笑顔でこたえた百恵。幸福感を認識するように見合う二人の目には限りない愛の輝きがあった。

百恵、友和ありがとう。永遠に幸あれ――。【長倉】

1980年10月6日付の日刊スポーツ。「泣かない女が泣いた」というメーンコピーが演歌チックでエモーシャル。山口百恵のラストコンサートは1面ではなく芸能面。1面は佳境のプロ野球だった。野球は昔も今もスポーツ紙の重要コンテンツ

1980年10月6日付の日刊スポーツ。「泣かない女が泣いた」というメーンコピーが演歌チックでエモーシャル。山口百恵のラストコンサートは1面ではなく芸能面。1面は佳境のプロ野球だった。野球は昔も今もスポーツ紙の重要コンテンツ

泣かない女が泣いた!武道館さよなら公演に1万人

【1980年(昭55)10月6日付 日刊スポーツ紙面から】

二階B席で熱い視線を送る三浦友和の前で、そして早朝から詰めかけた熱狂的なファンの前で百恵は力強く歌った。ファイナル・ステージという緊張感は、時折見せる笑顔からも感じ取れない。東京・北の丸の日本武道館に立ち見ファンを含め一万人という大観衆が集まり、その前で最後の最後までマイペースを崩さず、エネルギッシュに歌った。さすが三十年に一人と言われるスーパースターだ。

◇ ◇ ◇ ◇

二階B席で熱い視線を送り続けた三浦友和の前で、熱狂的なファンの前で百恵は泣いた。八年間のステージ活動にピリオドを打ったこの夜の東京ファイナル。フィナーレの「さよならの向こう側」を歌い出したとたん、涙が一粒、二粒ホオを伝わった。

サンキュー フォー ユア カインドネス テンダー エブリシング…やがて感謝の涙は真っ赤になった彼女の目からとめどもなく流れ落ちた。「百恵ちゃん!」「幸せに!」一オクターブ高い絶叫に近いファンのサヨナラの声援が会場を包んだ。「ありがとう」と何度も何度も口にし、精いっぱいの笑顔を作り去って行った百恵。それは三十年に一人といわれるスーパースター「山口百恵」ラストステージにふさわしい、ドラマチックなエンディングであった。

この日百恵はグレーのワンピースに身を包み、武道館南の裏口からそっと会場入りした。「前夜はぐっすり眠れたわよ」というものの、顔色は今一つ。舞台装置に注文を出すなど、神経をピリピリととがらせていたようだ。八年間歌手仲間として親しくつき合ってきたアン・ルイス、小柳ルミ子らが楽屋を訪問。「長い間どうもありがとうね」と一人一人に頭を下げ、手を取り合ったその笑顔も、ちょっぴりこわばっていた。スタート一時間も前から「突っ張り」「クール」が代名詞になった百恵に、ラストのプレッシャーがかかったのだろう。

去る九月三十日に札幌でスタートを切った全国五大都市でのファイナルコンサート。百恵が最も注意を払ってきたのが「食事」「睡眠」の二つだった。朝は無糖のコーヒーをすすった後、決まってご飯、ミソ汁の和食。公演前の遅い昼食は温かいううどんなど消化のいいものを口にし、夜は牛肉を中心にした肉類、中華料理など栄養補給に細心の気を配った。「食欲のわからない時も〝無理してでも食べなければ〟といっていました」は百恵と行動をともにしたマネジャー氏の話だ。そして多忙な八年間の歌手生活で百恵のベストの睡眠時間は六時間となっていたが、この睡眠もたっぷりととった。すべて「東京のファイナルをベストの状態でやりたかった」からだ。

大舞台で叫ぶように歌った百恵の最後のステージ。酔い続けたファン。彼女自身満足のいくファイナルだったに違いない。

舞台のソデで娘の熱唱ステージを見守った母親正子さん(五十)、妹淑恵さん(十六)、そして別れを惜しむファンの割れんばかりの声援をあとに、百恵は大粒の涙というプレゼントを残し去って行った――。

公演後、武道館の食堂で行われた「打ち上げパーティー」には友和が駆けつけ「お疲れさん、よかったよ」と声をかけ労をねぎらった。「最後まで一生懸命歌った……ホッとしたわ……」百恵は安どの中の幸福感をもみなぎらせ会心の笑みを浮かべた。さわやかな笑顔だった。歌い終わって一時間半を過ぎた午後十時過ぎ、二度と立つことのない武道館のステージを後にした。【長倉】

1980年3月8日付の日刊スポーツ1面。山口百恵の挙式日程と引退のニュースを伝える。すでにその年の正月付で「結婚引退」を“スクープ”していた自慢記事をさりげなく掲載している

1980年3月8日付の日刊スポーツ1面。山口百恵の挙式日程と引退のニュースを伝える。すでにその年の正月付で「結婚引退」を“スクープ”していた自慢記事をさりげなく掲載している

百恵友和11・19挙式 芸能界を引退「いい日旅立ち」左手に愛の指輪

【1980年(昭55)3月8日付 日刊スポーツ紙面から】

山口百恵(21)三浦友和(28)が11月19日に挙式、百恵は結婚を期に芸能界から全面的に引退することになった。昨年10月20日の恋人宣言以来、愛をエスカレートさせていた百恵、友和は7日午後4時、東京・芝のプリンスホテルで突然の婚約会見を行い、結婚の全容を発表した。挙式は11月19日、午後2時から東京・赤坂の霊南坂教会で行い、披露宴は同6時から東京プリンスホテル「鳳凰の間」で開かれる。媒酌人は友和の育ての親でもある俳優の宇津井健夫妻。ハネムーンは未定。新居は目下建築中の豪華マンションとなる。

◇ ◇ ◇ ◇

―結婚を決意したきっかけは

友和 僕の仕事は1つのカケみたいなものですから、ヘタすれば負ける可能性もある。でも命を張っても彼女を守って行く自信が出て決意しました。

―(百恵に)引退を決めた理由は

百恵 エゴかもしれませんが、結婚するからには完璧に近い状態でやって行きたい。(友和さんが)我慢しなければいけないようになるのはイヤなんです。

―友和さんは百恵さんの引退についてどう思う?

友和 彼女は“もし結婚するなら、仕事はやめる気でいた”と言っていました。ただ一時の感情の高ぶりでなく、時間を置いて結論を出してほしい、と僕は言ったんです。彼女は結婚までの腰掛け仕事ではなく、適性も才能もあるので、僕にも(引退させることに)迷いはありました。でも昨年暮れにはっきり“やめたい”と言ったので彼女の意思に任せました。

―プロダクションの反対はなかったのか?

百恵 正直に伝えたら快く受け入れて下さいました。

友和 強引にしたら、こんなに早くはならなかったでしょう。温かく見守ってくれたファンの方々のおかげです。

―結婚までのいきさつを話して下さい。

友和 話せば長いんですが、プロポーズしたのは去年の3月でした。食事のついでに“結婚する気で付き合うよ”と言ったら、彼女も“もちろん”と答えてくれました。冗談じゃいけないので、そのまま彼女の家に行ってお母さんに了承を得ました。

―どんな奥さんになりたい?

百恵 努力を惜しまず(友和さんが)仕事がしやすく、仕事の後で安らいでくれるような女房になりたい。

―婚約指輪はいつもらったのか?

百恵 いただいたのはさっきなんです。石はダイヤで、贈呈式みたいでしたが、すごくうれしかった。この人のお嫁さんになるんだなって実感しました。(と、ようやく表情がほぐれ、うれしそうに左手薬指の指輪を見せた)

友和 ひと月ぐらい前から森光子さんにお願いして探してもらいました(ダイヤの価格のついては答えなかった)

―両親の反対はなかったのか?

友和 まったくありませんでしたが、まだ彼女のお母さんにも(正式に)会ってないんです(ホリプロ堀社長が「礼を失しているのは皆さんに平等にお知らせするため事を隠密に運んだからです。どうかこの事情をご理解ください」と助け舟を出した)

―媒酌を宇津井健さんにお願いしたのは?

まだお会いしていないんです。あらためてごあいさつにうかがいます。

―子供は何人ほしい?

友和 僕は子供が好きだから、多い方がいい。

百恵 私もたくさんいた方がにぎやかでいいと思います。

―新居は?

友和 新聞に出てしまいましたが(本紙既報の高級マンションのこと)12月に完成するので、僕らと、彼女のお母さん、妹が一緒に住みます。部屋は2つあるので別々です。

―百恵さん、芸能界に未練はないのか?

百恵 未練という言葉がふさわしいかどうかわかりませんが、一生懸命やって来ました。精いっぱいやったので未練はありません。

―カムバックはあり得ないのか?

百恵 ハイ、そうです(ときっぱり)。

1979年10月22日の日刊スポーツ1面。週刊誌に交際をすっぱ抜かれた3日後の結婚宣言への驚きが紙面から伝わってくる。「結婚後は大女優を目指す」という読みは間違っていたが…

1979年10月22日の日刊スポーツ1面。週刊誌に交際をすっぱ抜かれた3日後の結婚宣言への驚きが紙面から伝わってくる。「結婚後は大女優を目指す」という読みは間違っていたが…

山口百恵さんの代表曲のひとつ「秋桜」(コスモス)は、嫁ぐ前日の娘の母への心情を歌う名曲です。「突然涙こぼし元気でと何度も何度も繰り返す母」。娘、母さん、おばあちゃん。歌い継がれるリレーです。