10月10日は「世界メンタルヘルスデー」だった。日本でもさまざまなイベントや、SNSでの呼びかけがあった。

1992年から、世界精神保健連盟が定めた日となっている。厚生労働省によると、「メンタルヘルス問題に関する世間の意識を高め、偏見をなくし、正しい知識を普及することを目的」とする。のちに世界保健機関(WHO)も協賛し、正式な国際デーとして定められている。

私も大学院は精神保健学専攻(研究はエリートアスリートに特化していた)であったので、少しだけスポーツにおいてのメンタルヘルス(心の健康)、メンタルについて、触れていきたいと思う。

これだけメンタルヘルスという言葉が浸透し、社会課題としてさまざまな場所で議論されてきていることに正直、私はとてもうれしく思う。私が競泳の日本代表に初めて選ばれた2001年は、10月に国立スポーツ科学センターが設立された年でもあった。そして引退間際の2011年にスポーツ基本法が公布、施行された。このことを振り返ると、私たちの世代はスポーツ界が劇的にビルドアップしていく時代の真っただ中にいたのだと感じる。

スポーツ界が大きく動く中、アスリートファーストや、アスリートのエンパワメント、セカンドキャリア、デュアルキャリアなど、日本としてもさまざまな課題に取り組んできた。時代とともに、多様性のことも取り上げられるようになった。今回の東京2020大会でも、選手たちがメンタルヘルスに対する発言をしているのを耳にし、アスリートの影響力に私は勇気をもらったし、未来を感じた。


アスリートを取り巻く環境は複雑だ。その要因の1つには、ハイパフォーマンスを常に求められることがあるだろう。いわゆる「プレッシャー」だ。それは過去の論文で「高いパフォーマンスを発揮することの重要性を高める因子」と定義つけられている。「あがり」という言葉もあり、ある研究では、あがりによるパフォーマンスの低下は“知覚・運動制御の変化”や“安全性重視方略”(失敗のリスクを最小限にとどめようとする方略)ならびに、“身体的疲労”によって生じることが示されている。

つまり、アスリートが行うメンタルサポートは、競技力向上が目的であるということだ。これは多くの方に経験があるかもしれないが、パフォーマンスの中で、環境によって知覚が変化することがある。緊張感でいつもと同じ部屋がやたらと大きく感じたり、小さく見えたり、明るく見えたり、暗く見えたりすることはないだろうか。それがネガティブに感じたり、ポジティブに感じることもあるかもしれない。

私も現役時代は、絶好調の時は50メートルプールが短く見えたり、全ての人の助言が自分のためにあると感じたことがある。またあがりの話をベースにすると、調整不足や、いつもどおりの自分らしい泳ぎの戦略が立てられなかったりした時は全てが不安要素になったりもした。このような状態は、研究をさかのぼると、「力動的知覚」といわれている。

私は引退してわかったことだが、「自分はメンタルが弱くて不安になっていたんじゃなかった」ということだ。どんな要因でネガティブな感情になっているのか、自分を理解できていなかったことが弱かったところだと理屈として理解できた。

今、もし「自分が弱いからだめなんだ」と思っている人がいたら、実はそれも過去にさまざまな研究がされ、多くの人が経験していることだということ。自分だけが弱いわけじゃなくて、心理的、生理的にもエビデンスがあることが多いことを知ってほしい。悩みすぎる前に「メンター」を見つけて相談してみること、誰かに話すことをトライしてみてほしい。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)