井上拓真(中央)は判定勝ちし父真吾氏(中央左)から祝福を受ける(撮影・小沢裕)
井上拓真(中央)は判定勝ちし父真吾氏(中央左)から祝福を受ける(撮影・小沢裕)

ボクシングのWBC世界バンタム級暫定王座決定戦が12月30日に都内で行われ、同級5位井上拓真(23=大橋)が悲願の世界王座奪取に成功した。3階級制覇の兄尚弥(25=大橋)の背中を追いかけ、ついに頂点に立った。

16年11月10日。幻となった“世界初挑戦”を1カ月半後に控え、拓真の目から涙があふれた。9日に行われた世界戦発表会見後のスパーリングで、右拳を負傷。翌日、千葉県内の病院で診察を受けると、手の甲と手首をつなぐ関節の脱臼が判明した。「将来を考え、手術した方がいい」-。医師の言葉は、拳の痛みを忘れるほど、心に突き刺さった。世界戦は中止。待ちに待ったチャンスが、こぼれ落ちた。

病院の駐車場。運転席に乗り込もうとした母の美穂さんは、後部座席に座る拓真の姿を見て、1人車から降りた。拓真が体を震わせて、泣いていた。「あそこまでの涙は初めて見た。悔しくてたまらなかったのだと思う。かけてあげられる言葉も思いつかなかったし、ただ1人にしてあげようと思った」。20分後、母が車に戻ると、拓真の目に、もう涙はなかった。悔しさを乗り越える-。偉大な兄と比較され、幼い頃から何度も悔しい思いは経験してきた。誰も感じたことのない重圧ともずっと戦ってきた。そうやって、強くなってきた。

初めてグローブに拳を通したのは、4歳。アマ時代、高校2冠を果たすも、比べられる対象は7冠の兄だった。当時について、拓真は「(尚弥は)すごいなとは思っていたが、どこか認めていない部分もあった。アドバイスを無視したり、感情むき出しの、けんかのようなスパーになることもあった。完全にすごいと思うと、負けを認めてしまうような気がした」と話す。

だが、その“差”はプロに入っても変わらなかった。ともに指導を受ける父真吾トレーナーの厳しい声は、スパーリング後のジム、帰りの車内、家に帰っても拓真に向いた。良いスパーリングをした兄は、怒られない。もやもやとした気持ちが晴れるきっかけは、目の前の尚弥のすごさを認めることだった。

「以前は、『お兄ちゃんすごいね』って言われても、『俺に言うなよ…』と思っていたが、プロで試合を重ね、ボクサーとして考えれば考えるほど、ナオの対応力はすごいなと感じた。どんな展開になっても、その場で戦い方を変えられる。スタイルも背格好も似ているし、最高の手本がこんなに近くにいると考えるようになって、自分の気持ちも変わっていった」。

行き着いたのは、兄と比較される状況と向き合うこと。「追いつきたいし、ナオ以上に結果も出したい。だから、スパーリングを同じ相手と違う日にやるとしても、ナオ以上の内容で終わりたい。意識することから逃げないようにすることで、自分が強くなれる」。

手術後も、厳しいマッチメークを1つずつ乗り越え、着実に力をつけてきた。あの涙から2年。確かな成長をリングの上で見せつけ、ついに、求め続けた頂点にたどり着いた。会場で勝利を見守った美穂さんは「入場してきた時に、2年前のあの日のことを思い出して、涙が止まらなかった。やっと、この日がきた」。会見を終えた真吾さんは、緊張から解き放たれたような優しい表情で言った。「うれしいし、今日は自分もおいしいお酒が飲める。ハイボールから芋焼酎を家でチビチビ、試合を反省しながら飲む。それが最高に幸せな時間です」。

悔しさを乗り越え、ベルトをつかんだが、ここで満足するつもりはない。「これからも、課題をクリアし、1歩ずつ進んでいく」。偉大な兄と比較されることから逃げず、悔しさと向き合うことで、道は開けた。23歳。井上拓真の本当の戦いは、ここからだ。【14~16年、ボクシング担当=奥山将志】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

サラパットに勝利した井上拓(中央)は兄尚弥(中央左)、父真吾トレーナー(同右)と記念撮影(撮影・鈴木みどり)
サラパットに勝利した井上拓(中央)は兄尚弥(中央左)、父真吾トレーナー(同右)と記念撮影(撮影・鈴木みどり)