【阪神週間②キング刺繍】創業60年! 3万円で背中に刻む虎党ロマンをベストセレクション

甲子園を歩くと…刺しゅう、刺しゅう、どこでも刺しゅう…。今となっては見慣れた風景ですが、始まりは虎党のある一言でした。虎党の皆様のオリジナルユニホームを多数掲載。それぞれの「こだわり」を感じ取っていただければ…。

ストーリーズ

中野椋

熱い、熱い阪神ファンがこよなく愛する刺しゅう屋がある。豪華できらびやかな刺しゅうが施されたユニホームやニッカポッカ。阪神ファンなら、1度は球場で目にしたことがあるだろう。どんな人たちが、どんな思いを込めているのか。日本全国から多くの人が依頼する株式会社キング刺繍の冨谷悠羽専務(とみや・ゆう=37)が、阪神ファンと刺しゅうユニホームの歴史、これまでに接してきたファンとの思い出を語った。(本文続きは虎党写真館の下へ)

★「キング刺繡」特製 虎党ユニホーム写真館★

★「浜中って入れてもらえませんか?」

大阪市城東区に阪神ファンの“聖地”がある。創業約60年のキング刺繍。京阪電鉄の関目駅から徒歩約8分、閑静な住宅街の中、ユニホームを手にした老若男女がその扉を開く。

冨谷専務は1人1人からデザイン、色合いのこだわりを聞き出し、オリジナルのユニホームを作り出す。今季、阪神は開幕から最下位と苦戦した時期もあったが、それでも問い合わせの電話やメールはほぼ毎日あるという。

浜中のユニホームを手に笑顔のキング刺繍・冨谷悠羽専務=2022年4月

浜中のユニホームを手に笑顔のキング刺繍・冨谷悠羽専務=2022年4月

「着ていったら風を切って球場を歩けるんですよ。お金も時間もかけている分、『これ、どうや!』 って。そのお手伝いをさせてもらっています」

もともとは「普通の刺しゅう屋」だった。現在もアパレル用品を手がけ、決して阪神関連の刺しゅうだけを扱っているわけではない。それでも虎党の中では、ユニホームの刺しゅう=キング刺繍。

はじまりは約20年前、1人の若い男性がきっかけだった。

「ここに『浜中』って入れてもらえませんか?」

★1着1カ月半 お客さんと二人三脚

2000年代前半、久しぶりに阪神に現れた和製大砲の熱烈なファンが店にやって来た。手には、タテジマが入っただけで、背番号のない無地のユニホーム。

創業者で現在は会長を務める冨谷久江さん(86)は、最初は戸惑いながらも、男性の思いにつられるように相談に乗った。何より、2人で一からデザイン決めていく過程が楽しかった。

「浜中の応援歌にある『不死鳥』を強調してほしい」「応援歌の文字は赤色だったら目立つと思う」

複雑な要望は、アイロンなどで貼り付けるだけのワッペンでは実現不可能。職人の刺しゅうだからこそ、希望に応えられた。

1カ月以上かけ、不死鳥の刺しゅうがデカデカと目立つ、唯一無二の一着が完成。応援歌や選手のシルエットなどは、今でも定番のデザインだ。

キング刺繍で最初に作られた浜中のユニホームは店内に飾られている

キング刺繍で最初に作られた浜中のユニホームは店内に飾られている

第1号の「浜中ユニ」を作って以降、同様の注文が増えていった。「これ、どこで作ったん?」。当時、店のホームページはほぼ機能していなかった。SNSもない。

甲子園のスタンドで広がる口コミだけで「猛虎の刺しゅう工房」は広がっていった。

「バブル終わりで刺しゅう業界が、海外の大量生産品に負けている時代。新たな道を見つけて、『これはいける!』と。お客さんと一緒に作る感じも楽しかったし、力を入れ始めたんだと思います」。

ピーク時には年間600以上の注文があった。業績はV字回復した。

★「ほぼ鳥谷。めちゃくちゃ鳥谷」

とりわけ人気だったのが、鳥谷敬。2000年代中盤から2010年代の注文は「ほぼ鳥谷。めちゃくちゃ鳥谷でしたよ」。冨谷専務の声のトーンが上がる。

キング刺繍で今でも絶大な人気を誇る阪神鳥谷敬のユニホーム

キング刺繍で今でも絶大な人気を誇る阪神鳥谷敬のユニホーム

「成績が落ちてきている時でも鳥谷、鳥谷、鳥谷…。ロッテに行ってからも、鳥谷。今もまだ、作っている人はいます」

03、05年のリーグ優勝時には桧山進次郎、金本知憲、赤星憲広、矢野燿大、藤川球児に人気が集まった。新井貴浩、良太の兄弟、助っ人ではマートンも多かった。

近年では大山悠輔、近本光司、中野拓夢、佐藤輝明。注文の多さは、各時代の阪神を背負う看板選手の証しだ。

「人気選手はデザインがかぶらないようにしないといけないから大変(笑い)。みんな、目の前に座る人より派手なものが欲しい。お客様がやりたいことを実現できるように意識しています」

キング刺繍で飾られている阪神桧山進次郎のユニホーム

キング刺繍で飾られている阪神桧山進次郎のユニホーム

1着作るのに約1カ月半かかる。濃密なやりとりの中で、阪神ファンの心理も感じ取ってきた。

「年に1回は必ず掛布さんで注文が来ます。バース、掛布、岡田で作る人も、いまだにいますね」

口をそろえて「あの時が一番ええよな…」とつぶやくという。

球団唯一の85年の日本一。栄光の再来を願うかのように、オールドファンはかつてのスターたちをオーダーする。

★給料全て突っ込む猛者も

「クセの強い」顧客との思い出はたくさんある。

北は北海道から南は沖縄まで。給料を全てつぎ込む人もいた。1着作るのに相場で3万円ほど必要だが、「みんなお金は気にしてませんね」と惜しみない。

印象に残るのは、海外からの注文。14年から2年間在籍した韓国出身のクローザー、呉昇桓の大ファンが台湾からメールを送ってきた。

「さすがに読めへんわって、断っちゃいました」

店のSNSを開始したのはここ数年のこと。国境をも越える阪神ファンの情報網に脱帽した。

ミシンで刺しゅうを作るキング刺繍・冨谷悠羽専務

ミシンで刺しゅうを作るキング刺繍・冨谷悠羽専務

巨人ファンの注文はNG。阪神ファンの熱い思いには応えるが、ライバルを侮辱するような刺しゅうは決して入れない。選手にリスペクトのない、無理な注文もきっぱりと断ってきた。

そうしたスタイルを貫くうちに、客層が変わってきた。「最近は“映え”ですよ」。

どこか昭和の香りがするハッピやニッカポッカを求め、高校生や20代の若者の割合が、圧倒的に増えているという。

「みんなバイトを頑張ってユニホームを作る。この前なんか、マルテのユニホームを女子高生がオーダーしてくれました。お年玉を使ったり、お誕生日に買ってもらったり」

★理屈じゃない

刺しゅうの技術進歩により、鮮やかな加工も可能に。自由自在のデコレーションで、SNSで“映える”カラフルな仕様が増えた。

「強かったタイガースを応援していたお父さんが家族を連れてきて、自分用、奥さん用、娘用、ワンちゃん用って注文する。それでも、『若い子に負けんくらい高いもの作るで』っていうお客さんも、たくさんいます(笑い)」

人生さまざま。共通するのは、理屈では説明できない猛虎愛-。性別も年齢も、阪神が強くても弱くても、関係ない。

猛虎の刺しゅう工房「キング刺繍」にはたくさんのユニホームが飾られている

猛虎の刺しゅう工房「キング刺繍」にはたくさんのユニホームが飾られている

阪神を応援することが日々の楽しみであり、生きがい。冨谷専務は、そんな思いを代弁するかのように言った。

「負けたら、めちゃめちゃボロカス言っているけど、結局お気に入りのユニホームを纏って球場に行く。そこに理由なんて…、ね。ここに来るのは、タイガースとともに人生がある、熱い思いを持っている人たちなんだと思います。もはやこれは、1つの文化なんじゃないかな。できる限り、ファンの思いを形にするお手伝いを、これからもしていきたい」

今日もスタンドには、思いを込めたオンリーワンのユニホームで、ナインとともに戦う虎党がいる。