【中日週間④谷繁元信手記】「オレは亀」ゆっくりゆっくり刻んだ2000安打…5ミリ大きな左手が誇り

過去に半年間、評論家担当として谷繁さんと野球を見る機会に恵まれました。次の球、展開の潮目、結末…当たるわ当たるわ、慧眼に驚かされてばかりでした。何より印象深かったのは、1球たりとも逃さず、丁寧にスコアブックをつける真摯な姿。「近道なし」を垣間見た気がしました。(2013年5月7日掲載。所属、年齢などは当時)

傑作選

日刊スポーツ

オレは亀、オレは一捕手-。捕手3人目となる2000安打を達成した中日谷繁元信捕手(42)が、日刊スポーツに手記を寄せた。プロ生活のスタートから、球界屈指の捕手と評されるようになった「今」について。将来の「引き際」についても熱くつづった。

★これっぽっちも

こんな日が来るとは思わなかった。妙な感覚です。プロ野球に入ったときは2000本打とうなんてこれっぽっちも思わなかった。

亀ですね。例えると。ゆっくり、ゆっくり。

今思うと、そうなのかな。いろんな人がいる。最初からパーンと出てダメになる人もいる。

ヤクルトの押本健彦から通算2000安打を放つ=2013年5月6日、神宮

ヤクルトの押本健彦から通算2000安打を放つ=2013年5月6日、神宮

大した成績を挙げないけども、これくらいを、ゆっくりゆっくり来てる。

オレはキャッチャーしかやったことない。

だから、この数字がどうっていうのは、はっきり言ってピンと来ない。とにかく野球が好き。というか、必死に野球をやってきただけだから。

プロに入った時は18歳。横浜(当時大洋)コーチ陣は本当に子どもをあやすようなもんだったと思う。福嶋さんに、高浦さんに、佐野元国さん。

佐野さんはすごくユーモアがあって練習は厳しいんだけど、いろんな練習方法をやってくれたり。試合前でもキャンプでもつきっきりで、宜野湾から宿舎のある那覇まで、15キロくらいを一緒に走ってくれたりね。いろんな練習方法を考えてきてくれた。

◆福嶋久晃 87~89年大洋バッテリーコーチ。プロゴルファー福嶋晃子は娘

◆高浦己佐緒 86~92年大洋2軍育成コーチ、バッテリーコーチを歴任

◆佐野元国 90~92年大洋バッテリーコーチ

★高速道路 どのレーンが早く空くか

5年目に大矢さんがバッテリーコーチで来て、死ぬほどノックを受けた。宿舎やビデオ室に2人でミーティングをやったりね。ホントに一から教えてもらった。勘を養うということは常に言われた。

よく言われたのが高速道路。今はETCだからそのまま通過できるけど、昔はチケット取ってお金払って、だった。瞬時にどこのレーンが一番早く空くか判断しろとよく言われた。

街を歩いてても、よく人を見るようにしてた。あの人こっちに行くな、いやこっちだなとか。エレベーターでも、3つあったらどこが一番早く空くか、常にに考えていなさい。

キャッチャーには洞察力が必要なんだってね。

代打でプロ初出場、初安打。1989年4月11日の広島戦

代打でプロ初出場、初安打。1989年4月11日の広島戦

権藤さんには、(横浜の)バッテリーコーチの頃から、ベンチで配球のサインを出してもらっていた。

権藤さんならどう考えるんだろうって。いつも見てた。

少しずつだけど権藤さんの考え方も分かってきたし、最後まで「こういう考えもあるんだ」って驚くこともあった。

大洋に入団して、中日では山田さん、落合さん、高木さんと10人以上の監督のもとでプレーした。運が良かったというか、出会った人が本当に良かった。

★いつか見とけ

自分は野球が仕事で、キャッチャーというのが仕事。その結果がたまたま、ここまで来た。

昔は「あいつはキャッチャーには向いてない」とか、いろいろと耳に入ってた。いつか見とけ、って思ってた。キャッチャーじゃなかったら、ここまでやってない。

今は、右に比べたら左の手のひらが5ミリくらい、大きくなってる。ずっとボール受けてきたから。これがオレの仕事。これからも変わらない。

もう1回、日本一になりたい。負けて悔しい。それが原点。

達成後の会見。笑顔が最も似合う野球人

達成後の会見。笑顔が最も似合う野球人

ベテランと言われるけど、自分では40代になってから身体の変化をあまり感じない。

ただ、いつ何時ガクッと来るか分からない。心が折れるかもしれない。チームに必要とされなくなるかもしれない。

その3つが重なったら、いや重ならなくてもどれか1つが出てきたら、辞める時。そう思ってやっている。(中日ドラゴンズ捕手)

◆谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)1970年(昭45)12月21日、広島県生まれ。江の川(現石見智翠館)では、87、88年夏の甲子園に出場。8強入りした88年は、島根大会全5試合で計7本塁打を放った。同年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。98年の日本一に貢献し、01年オフにFAで中日移籍。中日ではリーグ優勝4度、07年日本一。13年に捕手として3人目となる通算2000安打を達成。14年から選手兼任監督となり、15年に引退するまでプロ野球記録の3021試合に出場。16年に監督専任となった。プロ通算2108安打、229本塁打、1040打点、打率2割4分。現役時代は176センチ、81キロ。右投げ右打ち。