【大島康徳さんを悼む】波は呼ぶ ぼくを呼ぶ 波男にぼくはなるんだ

中日、日本ハムで2204安打を放った強打者、大島康徳さんが大腸がんのため70歳で亡くなって1年になります。病を公表されてからも、おくびにも出さず東京ドームで評論活動をされていました。サロンで、心底楽しそうに談笑されている姿を見て、野球人の強さに感じ入った記憶があります。大島さんの芯に触れる1本。(2021年7月5日掲載)

傑作選

沢田啓太郎

西武との日本シリーズ第1戦。持ち味の大きなフォロースルー=1982年10月23日

西武との日本シリーズ第1戦。持ち味の大きなフォロースルー=1982年10月23日

「波」

力強く押し寄せる波

ある時はやさしく またある時はきびしい

青々とした波は戦う 岩と戦う

いっしゅん白く くだけちる波 くだけては寄せる

波は強い ぼくよりもはるかに強い

どうとくだけた高い波 波は呼ぶ ぼくを呼ぶ

波男にぼくはなるんだ

これは大島さんが大分・中津の今津中1年の時に書いた「波」という詩。

2000安打を達成した1990年(平2)のオフ、親交のあった北島三郎らによって、この詩をもとに歌をつくるという話が持ち上がった。「おれって文才あるだろ」。照れながらも胸を張った大島さん。

結局、歌にはならなかったが、近年ブロガーとして人気を博していたのもうなずける。

現役時代の大島さんは決して多弁ではなかった。

「僕も大分の出身なんです」

「おお、そうか」

最初の会話はそれだけ。同郷のよしみで話が弾むかと思ったらそんなことはなく、「それがどうした」と言われたようで、新人記者だった私はしばらく話し掛けることすらできなかった。

評論家時代、中日落合監督と。グラウンドを愛した=2010年4月1日

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少しずつ雑談ができるようになっても、肝心の打撃の話になると「言ってもわからんだろ」と、とうとう神髄を聞くことはできなかった。私の力不足で苦い思い出だ。

それでも年賀状は毎年いただいた。

お子さんたちの成長ぶりを喜び、彼らが成人したあとには、愛犬「祭ちゃん」とのほのぼのとしたショットを載せた。

ある時は厳しく、ある時は優しい。大島さんは「波男」そのものだったように思う。

◆大島康徳(おおしま・やすのり)1950年(昭25)10月16日、大分県中津市生まれ。中津工から68年ドラフト3位で中日入団。3年目の71年に1軍デビューし、同年ジュニア・オールスターでMVP。72、77年には満塁を含む1イニング2本塁打を記録。76年にシーズン最多代打本塁打(7本)。83年には36本塁打でタイトル獲得。87年オフに日本ハムに移籍し、90年に通算2000安打達成。94年5月4日西武戦で43歳6カ月の最年長満塁本塁打。同年、現役26年の末に引退。通算代打本塁打20本は高井保弘(27本)に次ぎ、歴代2位タイ。主に外野と一塁を守り、77年には三塁手として115試合に出場した。オールスター出場4度。引退後は00~02年に日本ハム監督を務めた。現役時代は182センチ、85キロ、右投げ右打ち。