【中日週間⑤立浪和義2000安打】ミスタードランゴンズらしく固め打ちで決めた 絶叫、のち天井見上げ涙

通算2480安打は歴代8位。通算487二塁打はプロ野球記録。通算サヨナラ安打13本は球団記録。取材者としては06年4月7日の開幕戦、巨人上原から放ったサヨナラ満塁本塁打が忘れられません。なるべくして中日の象徴となった、立浪和義監督の2000安打をプレーバック!(2003年7月6日掲載。所属、年齢などは当時)

傑作選

日刊スポーツ

無冠の大打者が泣いた。中日立浪和義内野手(33)が、史上30人目の2000本安打を達成した。あと3本で迎えた5日の巨人戦で、8回に一、二塁間を破るこの試合3本目の安打を放ち、プロ16年目で大記録に到達した。達成時にはPL学園の先輩、巨人清原から花束を贈られ、遠く離れた甲子園では同級生の阪神片岡が祝砲を放ってくれた。173センチの小兵で、タイトルに縁のなかった男が、7月5日に歴史を刻んだ。

1987年12月16日、中日の入団会見で星野監督と握手。爽やか!

1987年12月16日、中日の入団会見で星野監督と握手。爽やか!

◆立浪和義(たつなみ・かずよし) 1969年(昭44)8月19日生まれ、大阪府出身。87年にPL学園主将として春夏甲子園を連覇し、同年ドラフト1位で中日入団。1年目から新人王に輝く活躍で88年のリーグ優勝に貢献。03年に2000安打を達成して名球会入り。09年に引退。通算2480安打は歴代8位、487二塁打は同1位。ベストナインを2度、ゴールデングラブ賞を5度獲得。13年WBCで侍ジャパン打撃コーチ。19年に野球殿堂入り。22年から中日監督。現役時代は173センチ、70キロ。右投げ左打ち。

★清原先輩から花束

「ヨッシャー!」。打球が一、二塁間をゴロで抜けた瞬間、立浪は思わず絶叫した。

快挙達成の喜びをかみしめるように、一塁ベース上でもう一度。敵も味方も関係ない。東京ドーム全体から拍手がわき起こる。さらに感激のセレモニー。尊敬してやまないPL学園の先輩・巨人清原が、花束の贈呈役を買って出てくれた。ヘルメットを脱いで受け取り、ガッチリ握手した。

猛打賞で決めた名球会。8回無死一、二塁、巨人林の140キロを渋く右前へ運んだ

猛打賞で決めた名球会。8回無死一、二塁、巨人林の140キロを渋く右前へ運んだ

さまざまな思いが交錯する。こぼれ落ちそうになる涙をこらえるのに必死だった。

次の守備に入った時も同じ。何かを思い起こすかのように、しばし天井を見上げる。瞳にキラリと光るものがあった。

立浪 1打席目に打てたので、何となくいけるかなと思っていました。最高の舞台で、最高の形で打てた。そして清原さんから花束をいただいて。最高の思い出になりました。何よりも勝てたことがうれしいです。

★照準定めウエート着手

適時二塁打、右犠飛、二塁打で迎えた8回無死一、二塁の第4打席。カウント0−1からの2球目。巨人林の140キロ直球を捉えた打球は、渋く転がった。

クリーンヒットでも派手な本塁打でもない。7回に1点を返された直後の適時打。先制、中押しに続く、ダメ押しの3打点目。立浪らしい偉業達成だった。

2000安打を意識し始めたのは00年、ナゴヤドームで横浜駒田の2000安打を目前で見た時。本拠地が土のナゴヤ球場から人工芝の球場に変わり、ひざ、腰に爆弾を抱えていた。「思うように打てなくなっていましたね」。そんな中で目標を掲げることで、進むべき方向を見いだし、本格的にウエートトレに着手した。

★忘れられない1本

忘れられない1本がある。90年4月7日、プロ3年目の開幕戦初打席で大洋中山から放った本塁打だ。

新人王を獲得した88年終盤に右肩を痛め、2年目は出場30試合どまり。当時の2軍選手には、ナゴヤ球場の「ナイター観戦」が課せられていた。カクテル光線に照らされたグラウンドを見て、ふと思った。「こんな素晴らしいところで、もう1度野球をやってみたい!」。そして迎えた、3年目の初打席に最高の結果を出した。

監督就任会見で。強い中日を取り戻す責務=2021年10月29日

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「これはあくまでも通過点。チーム記録を塗り替える気持ちでやってくれよ」。名球会の先輩である山田監督から、こう言い続けられてきた。次なるターゲットは高木守道氏が持つ、チーム記録の2274安打。「記念のボールはしばらく手元に置いておこうと思っています」。通過点の2000本は、同時に「超一流」への出発点でもある。

立浪の母好子さん(59、女手ひとつで育てた) 野球のことはよく分からないのですが、すごいことなのだなと思っています。監督さんはじめ、周囲の方々に支えていただいてここまでこられて、本当に幸せだと思います。