桂文珍 73歳は高齢? 落語会ではまだまだ「これから味が出てくるんじゃないか」

総勢6000人にも及ぶ所属タレント、芸人を抱える吉本興業。日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週木曜日を「吉本の日」とし、企画インタビューを掲載しています。

今回登場するのは桂文珍。落語との向き合いから、40歳前に操縦を始めた趣味のフライトまでたっぷり語ってくれました。

おもろいで!吉本芸人

取材=三宅敏、村上久美子

独演会を開けば、ファンによるチケット争奪戦必至の落語家桂文珍(73)。かつてはテレビに引っ張りだこの時代もあったが、今はしっかり、腰を据えて落語と向き合っている。8月8日には恒例の独演会を大阪・なんばグランド花月(NGK)で開催。入門から53年。積み重ねてきた文珍ワールドをたっぷりと披露する。

◆桂文珍(かつら・ぶんちん)本名・西田勤。1948年(昭23)12月10日、兵庫県丹波篠山市生まれ。大産大在学時代はアマチュア落語家として鳴らし、69年5代目桂文枝(当時は小文枝)に入門。74年MBSテレビ「ヤングおー!おー!」内の4人組ユニット「ザ・パンダ」に参加。他のメンバーは故4代目林家小染さん、月亭八方、桂小文枝(当時はきん枝)。80~90年代は「おもしろサンデー」「クイズ・ミスター・ロンリー」「ウェークアップ!」など多数のテレビで司会を務める。身長168センチ。

「88文珍デー」が今年もやってくる。今回は「吉本興業110周年感謝祭」を冠に「吉例88 第40回 桂文珍独演会」として、NGKで8月8日に開催される。ゲストに東京から桂宮治(45)。

文珍 よくも40回もやれたもんです(笑い)。ひとつの落語会が40年も続くのは、なかなかないものやと自負しています。8月8日は、ぜひ「ハッハッハ」と笑っていただきたい。

このインタビューの前日にはABCラジオ「おはようパーソナリティ 小縣裕介です」に出演。独演会では「デジナン」「らくだ」を演じることを明かし「落語に縁のなかった人にこそ聴いてほしい。そういう方が新しいお客さんになるんやから」などと語っていた。同番組は45年の長きにわたってリスナーに愛された「おはようパーソナリティ 道上洋三です」の後継番組。過去、文珍も何度か出演しているが、初対面の小縣裕介アナウンサー(50)は、文珍の貫禄とオーラに圧倒されたようだ。

文珍 道上さんの45年もすごいもんです。バトンを受けた小縣アナは大きな名前を襲名した落語家のようで重圧があるのかも。これまでプロ野球はじめスポーツ中継を主に担当なさっていた方ですから、目の前で起こっていることを言葉で表現するのが本職で(文珍との)言葉のキャッチボールに慣れておられなかったのかも。番組はまだ始まったばかりなので、これからどんなふうになっていくか楽しみですよ。

古典落語の「らくだ」に対して「デジナン」は現代を風刺した新作落語。若い世代なら苦もなく扱うスマートフォンをめぐり、人生のベテランが振り回される爆笑物語だ。「デジナン」とはデジタル難民であり、今の高齢化社会をしっかり反映。聴くほどに笑える一方、うなずけたり、シニアを応援したくなる話でもある。

文珍自身、調べものをする時はインターネットではなく、辞書を多用している。ネット情報は玉石混交であり、そのままうのみにすることはしない。

いま73歳。兵庫県丹波篠山市の実家に帰れば雑草を抜いたり、先祖代々の家や山をこれからどうしていくか幼なじみと話し合う。一般社会ではそろそろ高齢者扱いされるが、落語界ではまだまだ。

文珍の落語に対する考えでは「50歳からが本格的なスタート」。若いうちは客席の一人一人に面白みが伝わるまで間(ま)を取ることができず、キャリアを積むに従って、間を取れるようになり、それが味わいにもなるという。この考えは、文珍自身が50歳を超えたころの著書に記録されている。

文珍 えらい生意気なことを言うてましたな(笑い)。ただ、自分が70歳になってみると、当時想像していたのとはかなりイメージが違いますね。個人差もありますが、わたしは幸い体も元気でやってます。あらためて思うのは「今が50歳ぐらいの感覚やないのかな? 60歳って今の自分よりお年寄りやん」と。まあ、わたしにもこれから味が出てくるんじゃないかと期待しています。

落語家に限ったことではないが、資本は体であり、何より大事なのは健康。文珍は日課として朝の1時間ウオーキングと、その後のフィットネスクラブ通いを欠かさない。激しい筋トレをするのではなく、基礎体力を落とさないためのトレーニング、柔軟性を保つためのトレーニングが中心という。

文珍 時間どおりに起きるため、目覚まし時計をセットするんですが、いつも目覚ましが鳴る前に起きてしまいます。今朝も5時28分起床でした。この先、いつ何が起こるか分かりませんが、このまま元気で過ごせるならありがたいですな。

取材に応じる桂文珍(撮影・村上久美子)

取材に応じる桂文珍(撮影・村上久美子)

5代目桂文枝(当時は小文枝)に入門したのは1969年(昭44)。兄弟子に6代文枝(当時は三枝)がいた。4代目小文枝(当時はきん枝)は、文珍の直前の弟子入りだった。入門のきっかけは、三枝が出演していたMBSラジオ「ヤングタウン」の寄席コーナーに学生落語家として出演したこと。番組プロデューサーから「プロにならないのか?」と声を掛けられ、三枝が仲介した。

文珍 当時、弟子がひとりしかいなかったので(三枝は)弟弟子ができたら自分が楽になると考えていたんやないですか。入門して2番弟子やなあ、と思っていたら、わずかの差でハリネズミみたいな男が先に入門していて、わたしは3番弟子となりました。

それゆえ、文珍は兄弟子にあたるが「きん枝君」と呼ぶ。

文珍 当時、師匠はまだ40代で血気盛んでして、3人(三枝、きん枝、文珍)は何度もどつかれましたわ。中でもきん枝君が一番どつかれてました。間が悪いというか、どこか要領が悪かったんですね。よく「しっかり者の三枝、うっかり者のきん枝、ちゃっかり者の文珍」などと呼ばれますが、実際には「ちゃっかり者の三枝」でした(笑い)。

若かりし頃、三枝は師匠の自宅で住み込み。きん枝と文珍はそれぞれ別のアパートに住んでいた。アルバイトはきん枝が新聞配達、文珍はサパークラブで司会を務めながら修行を積んでいたという。

ある日、師匠ときん枝、文珍が歩いていた。文珍は持っていたあんパンを半分に割り、ひとつを自分が食べ、残りをきん枝に手わたした。若い2人は腹ぺこ。文珍はさっさと食べてしまったが、きん枝はのんびり少しずつ食べていた。その時、不意に師匠がきん枝を見て「大事な話をしているのに、何をもぐもぐしてるんや!」と頭をガツン。

文珍 こんな失敗ばかりでしたが、きん枝君は愛すべきキャラクターです。憎めないアホというか(笑い)。三枝と文珍の間で緩衝材にもなってもらいました。でも、あんなに師匠からどつかれたのは我々3人だけやないですか。それより下の弟子には、そんなに手を上げなかったはずです。

文珍といえば、飛行機を操縦する趣味人で知られる。子どもの頃からパイロットにあこがれていて、40歳前に操縦を始めた。70歳を過ぎた今もフライトを楽しんでいる。

文珍 飛行時間も、もうすぐ3000時間になるところです。もしこんな趣味にはまらなければ、もう少し楽な老後やったかも(笑い)。昨年5月「多発計器飛行証明」を取得しまして、これで複数のプロペラを持つ飛行機を計器飛行できるんです。

計器飛行とは、目で山や町などの風景を確認しながら操縦する「有視界飛行」に対し、計器を頼って操縦する。夜で周囲が何も見えなくても、悪天候でも計器を見ながらフライトできるもの。

文珍 飛行機の楽しさは自動車に比べてスピードがずっと出るので、次に何をするか、いつも準備しなければならないところなんです。面白いですよ。3次元で、音声でもって情報をキャッチし、次の一手を素早く判断する。このあたりは落語と共通すると思っています。

大好きな飛行機を今後も操縦するためにも、健康を維持しなければならない。もちろん落語のためにも健康第一。日本人男性の健康寿命(介護されたり、寝たきりにならず日常生活を送れる)は73歳とされる。これからは1年1年、自身の年齢とも向き合わなければならない。

文珍 できるなら亡くなる直前まで社会との関わりを持って、健康でいたいです。自分では、まだ50歳ぐらいの気分ですけど。