フィギュアスケートのペアで22年北京オリンピック(五輪)代表に第1号で内定した三浦璃来(20)木原龍一(29)組(木下グループ)が26日までに日刊スポーツなどのオンライン取材に応じた。日本人同士のペアとして初のグランプリ(GP)ファイナル進出を決めるなど世界的にも売り出し中。「りくりゅう」の愛称で知られるペアは、来年2月4日開幕の本大会では団体戦のメダル獲得に貢献し、個人戦では5位に入賞することを目標に掲げた。【取材・構成=松本航、木下淳】

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-木原は18年平昌大会まで五輪に2大会出場。その後、現ペア結成の経緯は

木原「19年3月に(須崎海羽と)解消しまして。けがだったり、脳振とうがあったり。その後、治療しながら新しいパートナーを探していた時、三浦さんと」

三浦「19年7月に名古屋の邦和スポーツランドでトライアウトを受けました」

-第一印象は

三浦「すっごく怖い印象がありました。今は、いい意味で小学生みたいです」

木原「失礼な(笑い)」

三浦「出会った時、木原さん、怖かった…。アップの時に黒いマスクしてて」

木原「あ~。高地トレーニング用の、取り込める空気量を制限できるもので」

三浦「それを着けてシュコー、シュコーって音を出してて。でも顔はまじめ。話しかけづらかったです」

-競技面での相性は

木原「トライアウトした時、感覚が今までのペアとは全く別次元で。自分が投げたい、やりたいことが実現できるんじゃないか。カミナリが落ちたというか、もしかしたら合うんじゃないか。最後のチャンスなんじゃないかと思いました」

-それまで木原は現役引退も考えていた

木原「(拠点から)帰国して脳振とうの治療を受けていました。地元リンクの邦和で靴を貸したり、隣接の宿泊施設で当直のアルバイトしていて。一時期、またシングルスケーターに戻って全日本、国体を目指して、それで終わろうと思っていた時期もありました」

-そこで三浦からトライアウトの話があった

木原「本当にありがたかった。三浦さんも当時は別の選手と滑っていたので」

-第一印象が怖かったのに、なぜペアを組んだ

三浦「私たちの友人の(アイスダンス全日本4連覇の)小松原美里さんから『龍一君ってやさしいよ、人柄も良くて熱心で』と聞いて、私と組んでくれませんか? とお願いしました」

-ペアに必要なことは

木原「男性としては女性を許せる広い心。それが最も大事だと思います」

三浦「広いの?」

木原「太平洋ばりに広い! ユーモアというか、長く一緒にいるとぶつかることもある。お互いの広い心が必要になると思います」

-今までのケンカは

三浦「大きなケンカは1回もないんです」

木原「細かいケンカを何回もして、ため込まないようにしています。常に小さなことでも言い続ければ大きな噴火につながらない」

三浦「翌日に持ち越したことはないですね。その日のうちに終わらせる、片付けることにしているので」

-いち早く代表に内定した北京五輪の目標は

木原「個人戦では5位に入りたいと思いました」

三浦「えっ。今、初めて聞きました。8位って言っていなかったっけ?(笑い)。じゃあ…5位で!」

-過去2大会は5位。日本初のメダルが期待される団体戦については

木原「日本はシングルに素晴らしい選手がそろっている。アイスダンスも。自分たちが頑張ればその可能性は広がる。頑張りたい」

-五輪後も含め、ペア選手としての最終目標は

木原「最終的には、いつか五輪の個人戦でメダルを獲得することが目標です」

三浦「みんなが憧れる場所(五輪)で完璧な演技ができたら。日本は素晴らしい結果を残している。自分も続けるよう頑張りたい」

◆ペアの五輪代表選考 今季GPシリーズ2戦連続で表彰台に立った三浦、木原組も、当初の選考基準では全日本選手権の出場が必須だった。だが、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」対策で渡航制限が厳しくなり、12月15日の日本スケート連盟理事会で選考基準を変更。五輪内定とし、伊東秀仁フィギュア委員長は「カナダから帰国した場合、戻れない恐れがある。団体戦で(初の)メダルを獲得するために練習を積んでもらいたい」。ペアは他に国際大会未経験の柚木、市橋組のみで、現時点で五輪出場資格を持っておらず、基準変更前から事実上の当確となっていた。