オールブラックスに最も近づいた日本人 坂田好弘、今なおラグビーに捧げる人生

一線を退いてもまだまだ元気だ! 往年の名選手、指導者の気になる今を紹介する「レジェンドのその後」を蔵出しして毎週金曜日に配信します。今回は、オールブラックスに最も近づいた日本人、坂田好弘さんです。(2019年9月17日紙面より。年齢、所属など当時)

レジェンドのその後

松本航

<【レジェンドのその後】日本人初のラグビー国際殿堂入り>

2012年に日本人で初めて国際ラグビー殿堂入りを果たした坂田好弘氏(76=関西協会会長)は今春、毎朝1時間の散歩を始めた。継続の源は「夢」。19年9月20日に開幕するW杯日本大会後の未来を考え「ラグビー場を作りたい」と意気込む。「日本ラグビー発展の地」とされる京都・下鴨神社を歩きながら、その思いを聞いた。 

◆坂田好弘(さかた・よしひろ)1942年(昭17)9月26日、大阪市生まれ。京都・洛北高でラグビーを始め、同大から近鉄。69年にNZへ単身留学。カンタベリー代表に名を連ね「オールブラックス(NZ代表)に最も近づいた日本人」とされる。日本代表16キャップ。75年に現役引退し、77年から大体大監督。13年春に退任。12年から関西協会会長を務め、同年に日本人初の国際殿堂入り。

12年6月5日、NZ遠征、留学での活躍が認められIRB殿堂入りの表彰を受けて笑顔を見せる坂田好弘氏

12年6月5日、NZ遠征、留学での活躍が認められIRB殿堂入りの表彰を受けて笑顔を見せる坂田好弘氏

日課は毎朝の散歩

京都市左京区の下鴨神社にある「雑太(さわた)社」。ガラン、ガラン…とラグビーボール形の鈴を鳴らし、坂田氏は両手を合わせた。足元は運動靴。毎朝行う散歩の道中で、ラグビーの神様へ一礼する。同区内の自宅を出て、その気分でコースを選ぶのが日課だ。

「何度も試合をしてきた宝が池の球技場に向かうコースが1つ。植物園の中を歩くコースもある。植物園は季節によって、いろいろな花を見ることができる」

今春、団長として関西学生代表のニュージーランド(NZ)遠征に参加した。選手のバスをホテルで見送り、片道20分の練習場まで徒歩で往復。帰国後も継続し、現在は散歩中に手すりを持っての腕立て、前傾でのスクワットを交える。徐々に始めたジョギングは500メートルに達し、体重は88キロから3キロ減。ジョギングを1キロまで延ばすことを目標に掲げながら「僕より年上の人も走っているから『いけるやろう!』となってね。でも、分かった。走っている人は、みんな細い」とオチをつけて笑わせた。

京都・下鴨神社の「雑太社」前を歩く坂田好弘氏(撮影・松本航)

京都・下鴨神社の「雑太社」前を歩く坂田好弘氏(撮影・松本航)

継続できる理由はラグビーだ。近鉄の名WTBとして活躍し、67年に日本代表初キャップを獲得。翌68年のNZ遠征でオールブラックス・ジュニアから4トライを挙げ、現地で「空飛ぶウイング」と称された。74歳だった17年には「日本の文化を知ってほしい」と、W杯組み合わせ抽選会の京都開催に尽力。英国とアイルランド以外で開かれたのは初めてだった。広い視野でラグビー界を見るからこそ、関西協会の会長として抱く1つの危機感がある。

「ラグビーができる場があまりにも少ない。だから、今の夢はラグビー場を作ること。3年、5年と、かかるかもしれない。思っているだけではダメで、エネルギーが必要になる。健康でなければ、実現しない」

ラグビー殿堂入り表彰式 日本選手権決勝のサントリー対パナソニック戦前に行われた元日本代表の大畑大介氏(右)のラグビー殿堂入りセレモニーで記念撮影する東洋人として初の殿堂入りを果たした坂田好弘氏=2017年1月29日

ラグビー殿堂入り表彰式 日本選手権決勝のサントリー対パナソニック戦前に行われた元日本代表の大畑大介氏(右)のラグビー殿堂入りセレモニーで記念撮影する東洋人として初の殿堂入りを果たした坂田好弘氏=2017年1月29日

「一緒に飲めば分かり合える」それがラグビー

現時点で目標がない同世代には「何でもOK。『孫と遊ぶ』でもいいでしょう」と助言を送る。アジア初のW杯も、現状を変える好機だと力を込める。その視点は、世界中から親しまれるレジェンドならではだ。

「町で外国人を見かけたら、ぜひ交流してください。英語が分からなければ、ビールを飲むジェスチャーでOK。パブもいいけれど、そこでぜひ居酒屋に連れて行ってあげてください。言葉が通じなくても、一緒に飲めば分かり合えるし、喜んでくれる。それがラグビー。『(次回W杯の)2023年にフランスで会おう』なんて約束したら、健康でいる目標もできます」

今月26日で77歳。その瞳はキラキラと輝いている。

【「レジェンドのその後」は毎週金曜日に配信します。お楽しみに!】